印刷 | 通常画面に戻る |

イラン高原

小アジアとインドにはさまれた高原地帯。イラン系遊牧民の生活舞台であり、古来、アケメネス朝、パルティア、ササン朝など高い文明を持った国家が興亡し、7世紀以降はイスラーム化した。

 西アジアの現在のイラン共和国一帯に広がる高原。おおよそ、西はアルメニア、北はカスピ海とカラクーム砂漠、南はティグリス川とペルシア湾、東はバルチスタン山地などで囲まれた地域。東西に山脈が連なり、中央部には広大な砂漠(カヴィール砂漠、ルート砂漠)が広がり、牧畜が主で農耕には適さないが、東西貿易路が通っているために古来交易がさかんであった。イラン高原と言っても広大で、いくつかの地域に分けられる。主な地方は、東部のメディア(中心都市ハマダーン)、カスピ海南岸のパルティア、ペルシア湾岸のペルシア(ペルシス)がある。
 イラン高原に最初の定住の足跡を残しているのはエラム人であるが、エラム人は民族系統は不明で、イラン系民族ではなかったと考えられている。彼らは前12世紀にイラン高原南部のメソポタミアに隣接する地域に、スサを都として王国を築き、メソポタミアに侵攻してカッシート王国を滅ぼした。その後インド=ヨーロッパ語族アーリヤ人の大移動が起こり、その一部のイラン系民族がイランに定住した。その中で、メディア地方にメディア王国が興り、続いてペルシア地方に現れたアケメネス朝ペルシア帝国が、イラン高原から西アジア全域を支配し、都としてスサの他にペルセポリスを建設した。これらイラン系の民族も様々で、遊牧生活や農耕生活を送りながら商業活動に長けており、たびたびメソポタミアや中央アジアに進出した。

ダイナミックなイラン高原の歴史

 西アジア全域を支配したアケメネス朝ペルシアの繁栄、そしてゾロアスター教に代表される文化を生み出したことなど独自の歴史を形成してきたが、イラン高原は歴史上、アレクサンドロス大王による征服と、イスラーム教アラブ人の征服、さらにモンゴルの征服という三度の大きな外来勢力の支配を受け、それらの文化の影響を受けている。そのダイナミックな歴史がまた独自のイラン文化を生み出してきた。
 歴史上に見られるイラン高原で興亡した国家は多数あるが、当面知っておくべきものは次の通り。
○古代イラン諸王朝:エラム → メディア → アケメネス朝 → アレクサンドロス帝国 → セレウコス朝 → パルティア → ササン朝 
○イスラーム化以後:イスラーム帝国 → アッバース朝 → ブワイフ朝 → セルジューク朝 → イル=ハン国 → ティムール帝国 → サファヴィー朝 → カージャール朝 → パフレヴィー朝 → イラン=イスラーム共和国(現在)
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
1章1節 ウ.メソポタミアの統一と小アジア