印刷 | 通常画面に戻る |

ペルガモン王国

ヘレニズム諸国の一つで、小アジアの西岸に栄えた。

 ペルガモン(現在のトルコのペルガモ)を都とした王国(アッタロス朝)。はじめセレウコス朝シリアに属していたが、前262年にエウメネス1世の時に独立し、初代アッタロス1世の時、前241年に王を称するにいたり、アッタロス朝がはじまった。ついでアッタロス2世はシリアと戦い、アテネの広場に柱列を建設したことでも知られる。この前2世紀にはヘレニズム文化を繁栄させ、特にペルガモンの大祭壇はヘレニズム彫刻の代表的な彫刻群があったことで有名である。第3代のアッタロス3世の時の前133年にローマに服属した。

Episode ペルガモンと羊皮紙

 ペルガモン王国はヘレニズム諸国の一つとして、文化が栄え、アレクサンドリアと並ぶ図書館もあった。プトレマイオス朝エジプトからのパピルスの輸入では紙が不足したため、ペルガモン王国で羊皮紙が発明されたという。羊皮紙を英語でパーチメント(parchment)というのはペルガモンを語源としている。その後もペルガモンは良質の羊皮紙の産地として有名であった。

ペルガモンの大祭壇

 紀元前180~170年頃にペルガモンのアクロポリスに建てられたゼウスの大祭壇は、ヘレニズム美術を代表する建造物である。祭壇やそれを取り囲む大理石の壁には、高さ2.3m、延長113mにわたって彫刻が刻まれていて、神々と巨人の戦いが描かれている。その上部にはイオニア式列柱が屋根を支えている。なお、ペルガモンでは、アッタロス1世が小アジアのガラティア人(ガリア人)に対する戦いの勝利を記念した「瀕死のガリア人」もヘレニズム彫刻として知られている。

Episode ベルリンでよみがえったペルガモン大祭壇

 この大祭壇は、19世紀後半にドイツ人によって発掘され、大理石群は19世紀末に船でそっくりベルリンに運ばれ、ベルリン博物館の目玉として復元された。第2次世界大戦が始まると防空壕に保管され、戦火を逃れたが、敗戦の1945年、旧ソ連に没収され、54年に旧東ドイツ・ベルリン博物官に返還されたが、本格的な修復は後回しだった。94年から約4億円をかけた修復作業が10年後の2004年にようやく終了し、ペルガモン博物館で2200年前の輝きを取り戻した。<朝日新聞 2004年6月16日朝刊による>
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
1章2節 ケ.ヘレニズム時代