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アンコール朝

9~15世紀のカンボジア王国の王朝。アンコール=ワットを造営した。

カンボジア王国(真臘)全盛期の王朝。真臘は8世紀に分裂していたが、802年にアンコール朝のジャヤヴァルマン2世が立って統一された。その後、アンコール帝国とも言われて繁栄が続いた。12世紀のスールヤヴァルマン2世の時、領土を拡大し、使節を宋に派遣し、アンコール=ワットに建造した。1177年にはチャンパーによってアンコールを占領されたが、ジャヤヴァルマン7世が1181年に奪回、首都アンコール=トムを復興させた。ジャヤヴァルマン7世は仏教徒であったのでこの時期には仏教美術が発達した。しかし、13世紀になると西方のシャム人(暹羅)が反乱を起こし、スコータイ朝として自立し、アンコール朝は衰退に向かう。13世紀末には元の使節が来ているが、随行した周達観が記録した『真臘風土記』には、この時期「富貴真臘」と言われてなおも繁栄していたことが伝えられている。14世紀にはタイ人のアユタヤ朝が勃興し、その侵攻を受けるようになり、1432年にアンコールを放棄してプノンペンに首都を遷した。

都アンコール

 トンレサップ湖の北岸にあたり、アンコール朝の代々の都であったアンコールは、「都市」を意味するサンスクリット語「ナガラ」がクメール語化したもの。9世紀以降、アンコール朝の諸王はこの地を中心にインドシナ半島を広範囲に支配し、道路網を築いた。都の周辺にはバライという貯水施設を多数建設し、水路をめぐらしていた。その中心部には都城であるアンコール=トムがあり、その南にもとはヒンドゥー教の寺院として造られ、後に仏教寺院となったアンコール=ワットの巨大な石造建築群が残っている。アンコール朝は14世紀にタイのアユタヤ朝に押されて首都をプノンペンに移したため、アンコールは荒廃し、現在はジャングルの中に埋もれている状態である。またカンボジア内戦期にはポルポト派によって文化財の破壊が行われ、荒廃が進んだため、国際的な復興の援助が始まっている。
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ノートの参照
第2章2節 イ.インド・中国文化の受容