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ソグド人

中央アジアで東西交易に従事したイラン系民族。サマルカンドを中心に、匈奴や突厥の保護の下、東西交易に活躍。唐代には長安でも活動し、ゾロアスター教・マニ教を中国に伝えた。

 現在の中央アジア諸国の一つ、ウズベキスタンの都市サマルカンドを中心とした一帯であるソグディアナ地方を原住地とするイラン系民族で、古くから内陸のシルクロード(オアシスの道)での交易に従事していた商業民族であり、その多くはソグド商人といわれた。

ソグド人と突厥帝国

 彼らは東トルキスタンからモンゴル高原、西域諸国を通って中国にも進出した。古くは遊牧帝国である匈奴に従っていたが、6世紀に突厥帝国がモンゴル高原から中央アジアに及ぶ遊牧国家の大帝国を建設すると、その保護のもとで東西交易に活躍した。突厥とソグド人の関係は一方の軍事力と一方の経済力と文化が相互に依存しあう関係であったと考えられる。続くウイグルなど騎馬遊牧民の遊牧国家との関係も同様であった。

ソグド人と唐帝国

 7~8世紀には中国のの勢力が西域に及び、その保護のもとで東西交易に活躍し、唐の都長安には多数のソグド人商人が住んでいたことが知られている。彼らによって中央アジアから中国にかけて、イラン人の宗教であるゾロアスター教マニ教、また彼らの文字であるソグド文字などのイラン文化が広まった。またソグド文字からウイグル文字が生まれた。なお、唐の安史の乱を引き起こした節度使安禄山はソグド人であったという。

Episode 密と膠(にかわ)の民

 『旧唐書』などによると「(ソグド人は)子供が生まれると、かならず、その口中に石密(氷砂糖)をふくませ、掌中に明膠(よいにかわ)を握らせる。それは、その子供が成長したあかつきに、口に甘言を弄することを石密の甘きがごとく、掌に銭を握ること膠の粘着するがごとくであれ、という願いからである。人々は胡書を習い、商売上手で、分銖(わずか)の利益を争う。男子が二〇歳になると商売のために近隣の国へ旅立たせ、こういう連中が中国へもやって来る。およそ商利のあるところ、彼らの足跡のおよばぬところはない」という。彼らソグド人は、密と膠とに祝福された生まれながらの商人だったのである。<護雅夫『古代遊牧帝国』1976 中公新書 p.168>
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ノートの参照
第6章1節 ア.トルコ系民族の進出とソグド人