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イタリア政策

神聖ローマ皇帝が歴代イタリア経営に熱心であったこと。

オットー大帝がローマで戴冠して以来、10~13世紀の神聖ローマ帝国神聖ローマ皇帝は、イタリアを支配しローマで戴冠することをめざして出兵することが多く、本国のドイツをおろそかにする傾向があった。皇帝にとっては北イタリアの豊かな経済力がねらいであったが、次第に自治都市の抵抗、反撃を受け、教皇とも対立するようになる。典型的なのはシュタウフェン朝のフリードリヒ2世(皇帝1220~1250)で、彼はシチリア島に生まれ、ドイツ王としては8年間しかドイツに滞在せず、残りはシチリア島のパレルモを拠点に神聖ローマ皇帝としてイタリアを支配しようとした。これらの神聖ローマ皇帝はローマ皇帝を名乗る以上、イタリアを支配し、さらにかつてのローマ帝国のように地中海をわが海とすることを望んだのである。その伝統は、後のハプスブルク家やヒトラーに継承される、ドイツ・オーストリアの野望があったものと思われる。また、神聖ローマ皇帝は11世紀以来、ローマ教皇との間で聖職叙任権闘争を展開した。この対立が教皇党(ゲルフ)と皇帝党(ギベリン)というイタリアの分裂の要因となった。
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ノートの参照
第6章1節 カ.分裂するフランク王国