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ピルニッツ宣言

オーストリア皇帝・プロイセン王がフランス革命干渉を宣言。

 1791年8月、オーストリア皇帝レオポルト2世(マリ=アントワネットの兄)とプロイセン王フリードリッヒ=ヴィルヘルム2世がピルニッツ(ザクセンにある城)で会合し、フランスにおける秩序と王政の復興はヨーロッパのすべての君主の共同利益であると宣言し、ヨーロッパの全ての君主に注意を喚起、「準備ができしだい緊急の行動を行う」ことを要請した。この宣言は警告に過ぎなかったが、エミグレ(亡命貴族)の興奮をかきたて、フランスでは反革命の恐怖をよみがえらせ、革命の賛成派・反対派の緊張を高めた。その結果、翌1792年4月にフランス革命軍とオーストリア・プロイセン連合軍の戦闘が開始される。 → 対オーストリア開戦

Episode マリ=アントワネット、各国の王に泣きつく

 1791年憲法を「おしつけられた」ルイ16世とマリ=アントワネットは、内心はそれに従わない決意をしていたものと思われる。ミラボーの死後、国王と王妃は密かにバルナーブらフイヤン派と連絡を取り、舞台裏で秘密工作を続けていた。
(引用)王妃マリー・アントワネットは愛人のスウェーデン軍人フェルゼンを通じて、ヨーロッパ諸国の王に働きかけ、同盟軍をつくってフランスに宣戦してくれるよう依頼した。彼女はオーストリア大使に書いた。「諸国会議を急いでください。私たちは王国の不幸をもたらす憲法を維持しようと思わないし、維持することもできません。ですから、列国が私たちを救いにきてくれることが必要です。」<河野健二『フランス革命小史』1959 岩波新書 p.113>