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光栄ある孤立

19世紀、イギリスが他を圧する工業力、植民地を所有していた時期の、他国と同盟関係を結ばないという外交政策の基本姿勢。

19世紀前半に産業革命を達成し、世界で真っ先に資本主義経済体制を作り上げ、「世界の工場」となったイギリスは「大英帝国」として繁栄の極点に達し、広大な植民地と強力な海軍を有してパックス=ブリタニカ(イギリスによる平和)を実現した。ウィーン体制下では始め四カ国同盟に参加していたが、次第にオーストリア、プロイセン、ロシアという大陸諸国と一線を画するようになり、1820年にはその同盟から脱した。それ以降、イギリスはヨーロッパ諸国のいずれとも同盟関係を持たないという孤立主義を外交の基本と据えることとなり、19世紀後半のヴィクトリア朝のイギリス第二帝国の時代には、その外交姿勢を「光栄ある孤立」(Splendid Isolation)と呼んだ。

光栄ある孤立からの転換

 しかし、19世紀末にはアメリカとドイツ、さらにアジアにおける日本という新興勢力が現れ、イギリスの相対的な地位も低下してきた。特に1899年から始まった南アフリカ戦争は、大国イギリスがインドやオーストラリアなど帝国内の兵力を総動員して戦いながら、ブール人の二つの小国を併合するのに苦戦して二年半もかかったことは、イギリスの凋落を予想させるものがあった。事実、同時期に中国で義和団事変が起きてイギリスも出兵したが、兵力を割くことができず、アジアにおいてはロシアと日本の台頭を許す結果となり、特にロシアの進出は中央アジアにおいても脅威であったので、その勢力を抑えるために日本との同盟に文くらざるを得なかった。それが1902年の日英同盟であり、まさに「光栄ある孤立」を維持でいずに、他国との同盟によって勢力均衡を図るという姿勢に転換したことを意味している。さらにイギリスは、1904年に英仏協商、1907年に英露協商を締結してヨーロッパにおいて孤立政策を放棄した。その勢力均衡による秩序の維持が崩壊したのが第一次世界大戦であった。
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ノートの参照
第14章2節 エ.列強の二極分化とバルカン危機