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インドネシア共産党

1920年にインドネシアで結成されたアジア最初の共産党。

 1920年代にはイスラーム同盟(サレカット=イスラーム)にかわってインドネシアの民族運動の中心勢力となったが、26年に武装蜂起に失敗して一時衰えた。
 第二次世界大戦後に再建され、1950年代には大衆路線をとって党勢を拡大し、スカルノナサコム体制を支えた。このころは党員360万を数え、社会主義国以外では世界最大の共産党となった。しかしスカルノ体制を支えるもう一つの勢力である軍部との対立が次第に深刻となり、1965年の九月三〇日事件という軍部クーデターで政権から排除され、多数の党員が殺害されて解体された。翌66年には非合法とされた。共産党非合法の根拠は、インドネシア共和国憲法に掲げられた建国五原則(パンチャシラ)の第一項、唯一神への信仰を国是とすることであった。

Episode 「インドネシアの紅はこべ」タン=マラカ

 初期のインドネシア共産党の指導者にタン=マラカがいる。彼は西スマトラのイスラーム教徒の家に生まれ、オランダ留学中にロシア革命の影響を受けてマルクス主義者となった。帰国後、第二代のインドネシア共産党議長となり、イスラーム同盟との連帯を進めたが22年に国外追放となる。20年にわたる国外追放の間に、コミンテルンの工作員として活動、武装蜂起失敗後は国際共産主義運動とは一線を画して独自の運動を進めた。その活動は国内で出版された政治小説『インドネシアの紅はこべ』のモデルとされ、変幻自在の妖術を使って帝国主義とスターリニズムと戦うヒーローとなった。42年に帰国後も独立運動のシンボルとされ大きな影響力を持ったが、49年に殺害された。彼はイスラームを反帝国主義勢力として評価し、また東南アジアを一つの単位とした「社会主義世界連邦」を構想するなど遠大なものがある。<『インドネシアの事典』同朋舎 p.77,271>
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ノートの参照
第15章3節 オ.東南アジアでの民族運動の展開