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オランダ侵攻

オランダは中立を宣言していたが、1940年5月、ドイツは突如侵攻し、占領下においた。連合軍の反撃により45年5月に解放されたが、多くの戦死者を出した。

 ナチス=ドイツの脅威の強まる中、オランダはウィルヘルミナ女王が1939年8月、厳正中立を守ることを宣言した。しかし、第二次世界大戦が始まると、翌1940年5月10日、ヒトラーのナチス=ドイツは、宣戦布告なしにオランダとベルギーに同時に侵攻した。ドイツ軍がハーグに迫ったため、13日、女王一家と閣僚はイギリスに避難し、オランダ軍総司令官ウィンケルマンに全権を委任した。14日夜、ロッテルダムは壊滅的な空爆を受け、ウィンケルマンは降伏した。ウィルヘルミナ女王はロンドンからラジオ放送を通じて国民に抵抗を呼びかけた。

オランダの抵抗

 ドイツはザイス=インクヴァルトを派遣し、オランダ人のナチス党員を重要ポストに就けて占領行政を開始した。オランダには1931年にヒトラーに共鳴した国家社会主義運動は始まり、ナチス政党が約9万の勢力を有していた。ドイツ軍とオランダのナチ党は、全オランダの反ナチ派約30万を連行し、ドイツ各地で強制労働に従事させ、さらに約10万のユダヤ人を強制収容所に送った。それに対する抗議ストや抵抗があらゆる形で続けられた。

解放の戦い

 1944年、ノルマンディーに上陸した連合軍は、9月4日までにベルギーを解放、9月10日からオランダ領内に入り、なおも抵抗するドイツ軍を追い詰めるために、44年冬から45年にかけて両ホラント州への石炭、ガス、電気をストップ、オランダ人住民にも2万2千人の犠牲が出て、「飢餓の冬」といわれた。ようやく5月5日、ドイツ軍が降伏、オランダは解放された。この戦争でのオランダ人の犠牲はユダヤ人も含めて20万人以上を出している。<森田安一『スイス・ベネルクス史』1998 世界各国史14 山川出版社 p.329-330>

ベルギー侵攻

1940年5月10日、ドイツ軍がオランダとベルギーに同時に攻撃開始、ベルギーは18日間で降服し占領された。

 1940年5月、ドイツ軍はベルギーに対する攻撃を開始、国王レオポルド3世は自ら総司令官として指揮を執ったが、わずか18日でドイツに無条件降伏し、捕虜となった。しかし、ピエルロを首班とする政府は降服を拒否し、国王の権利を剥奪してロンドンに亡命政権を立て、国内のレジスタンス運動を指導した。ドイツ占領は1944年まで続き、8月から9月にかけて解放された。ドイツの捕虜となったレオポルド3世の復位問題は、戦後の大きな問題となった。
 → ベルギー
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ノートの参照
第15章5節 イ.ヨーロッパの戦争