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ラオス愛国戦線/パテト=ラオ

ラオス独立戦争の中心勢力となった民族運動組織。その軍事組織をパテト=ラオという。1975年、ラオスを制圧しラオス人民主共和国を建国した。

 ラオス愛国戦線の前身は、1945年、フランスからの独立を目指して結成された「自由ラオス」(ラオ=イッサラ)である。彼らは、1945年、日本軍がってったいしたの地に臨時政府を樹立したが、フランス軍に弾圧され、タイに亡命政権を移した。50年、フランスがラオス王国の形式的独立を認めると、それを受け入れるグループと、反対して完全独立を主張する左派グループに分裂、後者を率いたスファヌボンは、自由ラオス戦線(ネオ=ラオ=イッサラ)を結成した。その軍事部門をパテト=ラオと言った。フランスとのラオス独立戦争は、ベトナムにおけるディエンビエンフーの戦いで敗れたフランスがラオスからも後退し、1954年のジュネーヴ会議でラオス王国として独立が認められた。

ラオス愛国戦線とパテト=ラオ

 自由ラオス戦線はより多くの民族グループを結集し、1956年に「ラオス愛国戦線(ネオ=ラオ=ハック=サート)」と改称した。パテト=ラオは「ラオスの国」の意味で、軍事部門の組織名であるが、一般にラオス愛国戦線そのものを指す名称として使用されている。彼らはフランスに替わってインドシナ支配に乗り出したアメリカ軍と、それに支援されたラオス王国政府に対して反米・王制打倒を掲げてラオス内戦を戦い続けた。
 パテト=ラオつまりラオス愛国戦線は北部ラオスの二州を支配下に収めて「解放区」とし、首都ビエンチャンの王国政府軍と激しく戦った。その後、何度か連合政府が成立したり、破綻したりという混乱が続いた。1971年、ベトナム戦争の泥沼化に苦慮するアメリカは、南ベトナム解放戦線を支援するラオス愛国戦線を殲滅する目的で全面的なアメリカのラオス空爆を行ったが、ラオス愛国戦線は粘り強く抵抗し、アメリカの作戦は失敗した。

ラオス人民民主共和国の樹立

 ベトナム戦争の和平会議と並行して72年から和平会談が開始され、翌年のベトナムにおけるアメリカ軍の撤退、75年のサイゴン陥落による北ベトナムによるベトナム統一という動きの中で、75年6月、パテト=ラオはラオス全土を制圧、王政は倒され、ラオス人民民主共和国が成立、大統領にスファヌボンが就任した。
 ラオス愛国戦線は政治組織としてはラオス人民革命党を名乗っており、<静かなる革命>といわれる独自の社会主義化の推進しているが、一党独裁体制をとり、民主化の課題も抱えている。
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ノートの参照
第16章3節 エ.ベトナム戦争とインドシナ半島