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ヴィシェグラード=グループ

ソ連崩壊後の1991年、東欧諸国の中のポーランド、チェコスロヴァキア、ハンガリー三国が結成した地域協力機構。チェコとスロヴァキアが分離してからは4国で構成。ポーランド、チェコ、ハンガリー三国は1999年に、スロヴァキアは2004年にNATOに加盟、2004年に4国がEUに加盟した。

 1989年東欧革命の進行の結果、同年末に米ソ首脳が冷戦の終結を宣言した。それを受けて1991年1月、東欧社会主義諸国の経済協力機構であったコメコンが解散の方針を打ち出し、東欧諸国はソ連を中心とした社会主義経済圏からの脱し、新たな経済協力の必要に迫られた。

三国協力の成立

 その翌月の1991年2月、ポーランドチェコスロヴァキアハンガリーの三国首脳は、ハンガリーの古都ヴィシェグラードに集まり、歴史的・文化的に関係の深い三カ国が経済協力を進め、ヨーロッパ統合にも協力することを取り決めた。この三国を、ヴィシェグラード=グループ、またはヴィシェグラード三国という。ヴィシェグラードはヴィシェフラドとも表記し、1335年にハンガリー王、ポーランド王、ボヘミア王が会談を行い、商業ルートの設置や各国の政治協力を話し合った場所で、三国にとって歴史的に意義のある都市である。

コメコン、ワルシャワ条約機構の解散

 同1991年6月、コメコンの総会は正式にコメコンの解散を決定した。さらに同1991年7月にはワルシャワ条約機構が解散しており、東欧社会主義圏は、政治的・軍事的な結束を失っており、その動きは、同1991年8月19日のソ連共産党保守派クーデタの失敗から一気に、同1991年12月8日ソ連邦解体へと進んだ。

ヴィシェグラード4国へ

 1993年1月にチェコスロヴァキアが連邦を解消し、チェコスロヴァキアに分離してからも協力関係は維持されたので、それ以降はヴィシェグラード4国と言われる。

NATO、EUへの加盟

 ヴィシェグラード=グループはヨーロッパ連合の一部を構成する地域共同体として存在意義が注目されるようになり、1999年にはポーランド、チェコ、ハンガリーがNATOに加盟(スロヴァキアは2004年に加盟)、さらに2004年にはEUに加盟した。  このような旧東欧社会主義圏の諸国がNATO,さらにEUに加盟したことは、隣接するウクライナにも影響を与え、ウクライナの西部でNATO、EUへの加盟の動きが生じた。それに対してロシアは強い警戒感を持つようになり、ウクライナ東部のロシア系住民とのつながりを強調してウクライナを牽制した。2014年についにロシアはクリミア半島を併合、ウクライナ東部のロシア系住民の自治を宣言し、両国関係は最悪になった。ヴィシェグラード4国は軍事的同盟ではないので、ロシアの強硬な姿勢に動揺し、ポーランドやハンガリーにはNATO,EUから距離を置いてロシアとのバランスを取る動きも起こった。
 しかし、2022年2月にプーチン大統領がウクライナ侵攻を実行したことで、ロシアとの宥和姿勢は消し飛び、ヴィシェグラード諸国はロシアを非難し、国内でのNATO軍の増強を行った。特にポーランドは歴史的な経緯から反ロシア感情が強く、NATO軍はロシア軍への直接攻撃を自制しながら、ウクライナ軍への支援を強化した。
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