印刷 | 通常画面に戻る |

中国の旅

北京市内と郊外には、清朝の乾隆帝や西太后などの権力者が造営した大庭園が残っています。今日はその中の頤和園と円明園を訪ねました。清朝の皇帝たちの栄華を忍ばせるとともに、ヨーロッパ勢力の侵略によって破壊された跡がそのまま残されている、興味深い遺跡です。(2007年3月4日)

5.頤和園と円明園

頤和園(いわえん)
頤和園は清朝の乾隆帝が1764年に完成させた離宮。北京の北西にある。
アロー戦争の時、円明園とともに外国軍によって破壊されたが、西太后が復興させ、数々の寺院や舞台を作った。中心には万寿山と昆明湖が配され、仏香閣など多数の堂を長廊が結び、現在では広大な敷地はくまなく整備され、世界遺産に指定されている。西太后は頤和園を大変気に入り、しばしばここに行幸して政務を執った。また「戊戌の政変」で光緒帝は頤和園の中の玉瀾堂に軟禁された。
左 頤和園の入口。左右は春節を祝う看板。
昆明湖と仏香閣
光緒帝が軟禁された玉瀾堂 長廊
漢字と満州文字が並ぶ園内の扁額 昆明湖の石船
円明園
円明園は雍正帝の時に築かれた離宮で、次の乾隆帝時代を通じて造営が続けられ、広大な敷地に多数の宮殿、寺院、庭園が造られた。その一部にカスティリオーネら、イエズス会宣教師が設計にあたった西洋庭園が建造された。
円明園の多数の建造物は、アロー戦争の時北京に攻め込んだフランス軍によって略奪され、円明園の西洋庭園も破壊された。再建されることなく、放置されていたが、最近ようやく公園として整備された。


円明園 入り口