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第5章 イスラーム世界の形成と発展

2 イスラーム世界の発展

Text p.115

ア.東方イスラーム世界
 トルコ人のイスラーム化  北アジア(トルキスタン)を原住地とする騎馬遊牧民。
・イスラーム勢力の進出の結果、次第にイスラーム化。(4章2節参照)
・9世紀頃 アッバース朝のカリフは、a マムルーク ※と言われるb トルコ人奴隷 
      親衛隊として用いる。その後、イスラーム各王朝で白人奴隷が軍事力の中心となる。
 ※主としてトルコ人、他にスラブ人やギリシア人、 チェルケス人 、クルド人などを含む奴隷兵士。
  9~19世紀のイスラーム世界の各王朝で軍事力の中心となり、一時は王朝も建てる。
 セルジューク朝    中央アジアに起こったトルコ人王朝。軍事力にa マムルーク を採用。
1055年  始祖b トゥグリル=ベク 、c バグダード に入城。
  → アッバース朝のカリフから、d スルタン の称号(政治的支配者の意味)を得る。
  = イスラーム世界の政教一致の原則が崩れる。
・e スンナ派 イスラーム教としてf シーア派 のエジプト・ファーティマ朝と対立。
・11世紀末、 マリク=シャー のとき、全盛期となる。
・主要都市に学院(g マドラサ )を建設。e スンナ派 の神学と法学を研究、思想統一に努める。
  = イラン人宰相f ニザーム=アルムルク にちなみg ニザーミーヤ学院 といわれる。
 イスラーム世界の拡大   イスラーム国家は分裂したが、イスラーム教圏は拡大。
・セルジューク朝の西方進出
 1071年 ▲a マンジケルトの戦い でビザンツ帝国軍を破り小アジア進出。
       さらにイェルサレムを含むシリア海岸地帯を征服。
  → ビザンツ皇帝の要請でキリスト教世界でb 十字軍運動 が始まる。
・中央アジアのトルコ系イスラーム王朝(10世紀)
 10世紀 c カラ=ハン朝  中央アジア最初のイスラーム王朝。
  → 999年 サーマーン朝を滅ぼし東西トルキスタンを併合し支配。11世紀に分裂し衰退。
 962年 d ガズナ朝  サーマーン朝のマムルークであった アルプテギン が建国。
  → アフガニスタンから起こり、北インドに侵入を開始。12世紀にゴール朝に滅ぼされる。
・▲11世紀 セルジューク朝の分裂(内紛のため)
 小アジアに一族がe ルーム=セルジューク朝 を建国。都ニケーア。
  → 後にコンヤ。11世紀末、f 第1回十字軍 の攻撃を受け都をコンヤに移す。
 アム川下流域ではトルコ系奴隷のd ホラズム が自立。イラン、アフガニスタンを奪う。
・セルジューク朝などトルコ系王朝は13世紀にモンゴルの侵攻によりいずれも滅亡。
 モンゴルの侵入 
▲1256年 北部イランのイスマイール派 暗殺教団 、モンゴル軍に降伏。
1258年  モンゴルのa フラグ 、バグダードに入城。
 =b アッバース朝 の滅亡。カリフ制度が消滅。カリフはエジプトのマムルーク朝に亡命。
  → イラク・イランを併せて、c イル=ハン国 を建設。マムルーク朝と対立。
・13世紀末 d ガザン=ハン  イスラーム教を国教とし、自ら改宗。
  → モンゴル式税制からイスラーム式税制に改め、農村の復興させる。→イラン社会の安定。
  イラン人宰相e ラシード=アッディーン を登用。
・モンゴル人の支配のもと文化面はイラン人に支えられ、f イラン=イスラーム文化 が成熟。
   ▲e ラシード=アッディーン がモンゴル帝国の歴史書g 集史 を編纂。
イ.バグダードからカイロへ
 アイユーブ朝   a サラディン(サラーフ=アッディーン)  クルド族出身。
・1169年 エジプトに王朝を樹立。
 1171年 ファーティマ朝を倒し、エジプトにb スンナ派 を復興。
・1187年 ▲ ヒッティーンの戦い でキリスト教軍を破り、イェルサレムを奪回。
  → さらに聖地奪回を目ざしたc 第3回十字軍 を撃退しイスラーム側の英雄とされる。
  → イギリス王リチャード1世は講和に応じ、聖地回復できないまま帰国。
・この王朝もトルコ人奴隷を購入してd マムルーク 軍団を組織。
 マムルーク朝    アイユーブ朝でa マムルーク が勢力を伸ばす。
・1250年 クーデターによりアイユーブ朝を倒し、エジプト・シリアを支配。
・1260年 スルタンb バイバルス 、シリアに侵入したc イル=ハン国 軍を破る。
       = ▲ アインジャールートの戦い  
  → さらにアッバース朝カリフをd カイロ に擁立、メッカ・メディナを保護下に置く。
    = イスラーム国家としての権威を高め、イスラーム世界の中心となる。
・首都d カイロ の繁栄。
 ナイル川の順調な増水と政治の安定 → 小麦・大麦など主要作物の生産の向上。
  → さらに商品作物としてe サトウキビ 栽培が普及し砂糖は重要な輸出品となる。
  → 首都を拠点としたf カーリミー商人 を保護。地中海・インド洋貿易(紅海経由)を独占。
  → イスラーム世界の政治・経済・文化の中心地となる。
  ▲g アズハル学院 (ファーティマ朝が建設)が新たなスンナ派イスラーム学の中心となる。
・1291年 シリアに残ったキリスト教徒の拠点、h アッコン を攻略。十字軍時代終わる。
16世紀 オスマン帝国が有力になる。さらにインド洋交易圏にポルトガルが進出。
  → 1517年 マムルーク朝、オスマン帝国に滅ぼされ、エジプトはその領土となる。 
ウ.西方イスラーム世界の変容
 ベルベル人  のイスラーム化。北アフリカの先住民。
・11世紀 熱狂的な宗教運動起こりイスラームへ改宗すすむ。
 ムラービト朝  
・11世紀後半から12世紀前半 a マグリブ 地方のモロッコを中心に
  イスラーム教国を建設。都はb マラケシュ 。イベリア半島に進出。
 → アフリカの黒人王国のガーナ王国を滅ぼす。アフリカ内陸部のイスラム化すすむ。
 ムワッヒド朝   12世紀中頃~13世紀中頃 都マラケシュ。
・イベリア半島に進出し、キリスト教徒によるa  国土回復運動 と対抗。
 ナスル朝   13世紀中頃~15世紀 イベリア半島最後のイスラーム教国。
 ・a グラナダ のイスラーム文化栄える。代表例がb アルハンブラ宮殿 (14世紀)。
 ・1492年 スペイン王国がグラナダを陥れる。→イスラーム教徒、北アフリカに移住。
エ.イスラームの国家と経済
1.a 貨幣経済 の発展 :ウマイヤ朝で、 ディーナール金貨 ディルハム銀貨 が鋳造される。
  → ウマイヤ朝、アッバース朝は、都市と農村から、貨幣と現物の二本立てで徴税。
  → 官僚・軍隊には現金で給与を支給(軍人への俸給を アター という)。
 9世紀 b マムルーク 軍人の台頭 →地方政権の自立、カリフ権の衰退→国庫収入減少。
2.a イクター制 :b ブワイフ朝 に始まり、c セルジューク朝 で発展。
 d 軍人・官僚に俸給(アター)額に見合う金額を徴収できる土地の徴税権を与える制度。 
 都市に住む軍人は与えられた土地(イクター)に代理人を派遣し徴税し、その収入で軍備をととのえた。
 → セルジューク朝以降も広く西アジアでこの制度がとられることになる。
3.a ムスリム商人 の活動:地中海とインド洋のb 奴隷 ・c 香料 ・d 馬 などの交易。
 →インド・東南アジア・アフリカへのイスラーム教の拡大。


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