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第14章 帝国主義とアジアの民族運動

2 世界分割と列強対立

Text p.283

ア.アフリカの植民地化
 アフリカ分割 の開始 
19世紀なかば欧米人による アフリカ内陸の「探検」
・1849年~ a リビングストン (英)
・1870~80年代b スタンリー (米) コンゴ地方を探検
  → それを援助したc ベルギー 国王の▲d レオポルド2世 が領有を主張。
  → コンゴ地域をめぐるヨーロッパ各国の対立が起こる。
・1884~85年 ドイツ・ビスマルク主宰のe ベルリン会議  開催。
  → コンゴをベルギー国王(個人)の所有地と認め、f コンゴ自由国 を承認。
 ・アフリカ分割の原則を定める。
  沿岸部の新規併合が内陸部併合も意味すること
  ヨーロッパ人の活動を保障できるg 実効支配 が必要であること
  ある地域を最初に占領した国がその地域の領有権をもつ(h 先占権 )、など。
 → 1904年 i ベルギー領コンゴ  となる。
 → ヨーロッパ列強による植民地の境界の画定、現地の行政・治安機構の設置が進む。
 イギリス のアフリカ侵出 1880年代 エジプトに侵入
・1882年 a ウラービーの反乱 を鎮圧。(第13章1節既述)
  → エジプトを事実上の保護下におく。(正式には1914年)

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・1881年 b スーダン に侵入。→c マフディー 派のd ムハンマド=アフマド 
       イギリス軍への抵抗を開始。=e マフディーの反乱 が起こる。
  → 85年 英軍、ハルツームで敗れf ゴードン が戦死。
  → キッチナー将軍を派遣、98年ファショダ事件の後、1899年 スーダン征服。
・1889年 ケープ植民地首相 g セシル=ローズ  南アフリカ会社を設立。
       = イギリスのh アフリカ縦断政策 を主張。
  → 1890~94年 i ローデシア を領有(現在のジンバブエ)。
・j ブール人  のたてた国k トランスヴァール共和国 ※とl オレンジ自由国 ※※に侵出。
    ※金鉱が発見された(1886年) ※※ダイヤモンドが採掘されている。
・1899年 m 南アフリカ戦争   イギリスとj ブール人 の戦争。激しい抵抗で苦戦。
  意義:n 列強による武力による領土格とを目ざす帝国主義戦争のはじまりとされる。 
 1902年 トランスヴァール・オレンジの両国を征服。戦争終わる。
 1910年 o 南アフリカ連邦 成立。
・イギリスのp 3C政策 
  意味:q ケープタウン・カイロ・カルカッタを結ぶイギリスの帝国主義政策。 
 フランス の侵出 1842年 オスマン領であったa アルジェリア を攻略(12章1節既述)
・1881年 b チュニジア を保護国とする。→ 1890年代 c サハラ砂漠 に進出
  → ジブチ・マダガスカルとの連絡をめざすd アフリカ横断政策 を進める。
・1898年 e ファショダ事件  イギリスとスーダンの奥地で衝突。
  = アフリカにおける最初の帝国主義国間の衝突。フランスが譲歩し、全面対決回避。
  → スーダンはエジプト(実質イギリス)の勢力圏となる。 → ドイツが新たな脅威となる。
    クレマンソー内閣:f モロッコ 進出。ドイツと対立(第1次、第2次モロッコ事件)
・1904年 g 英仏協商 成立:イギリスのエジプト、フランスのモロッコでの優越権を相互に承認。
    =ドイツの進出に対抗するため。
  → 1912年 h モロッコ保護国化 に成功。

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 ドイツ の侵出
・1880年代 a カメルーン 、西南アフリカ、b 東アフリカ などを領有。
・c ヴィルヘルム2世 のd 世界政策 の展開。(1890年から親政)
 1905年 e 第1次モロッコ事件 :皇帝自らf タンジール に上陸。
  → フランスのモロッコ進出に反対し、列国会議の開催を要求。
  → 翌年 g アルヘシラス会議 で否定される。
・1905~07年 東アフリカで反ドイツ黒人反乱の マジマジ 反乱が起きている。
 1911年 h 第2次モロッコ事件 :i アガディール に軍艦を派遣し威嚇。
 1912年 独仏協定でフランス領コンゴの一部を獲得、フランスのモロッコ支配を承認。
 イタリア の侵出
・1880年代 英仏とともにa ソマリランド を分割、b エリトリア を獲得。
 1896年 c エチオピア 進出を狙うも、d アドワの戦い で敗れ後退。
・1911年 e イタリア=トルコ戦争 :オスマン帝国領の北アフリカ進出をねらう。
  → オスマン帝国、翌年第1次バルカン戦争起こり苦境に(後出)。
  → イタリア、トリポリ・キレナイカを獲得しf リビア と改称。
20世紀初頭までに、g エチオピア帝国 とh リベリア共和国 ※を除きすべて分割される。
  ※1847年、アメリカで解放された黒人奴隷が、アフリカに建設した共和国。
イ.太平洋諸地域の分割
・17~18世紀  太平洋諸島探検  すすむ。
 オーストラリア 
・1642年 オランダ人 タスマン が発見。先住民a アボリジニー 
・1770年 イギリスのb クック が領有宣言。c 流刑地植民地  とされる。
・19世紀に金鉱発見。→ 中国人移民の増加。
   → d▲ 白濠主義 に転じる。(~1973年まで)
・1901年 自治を認められ、 オーストラリア連邦 となる。
 ニュージーランド 
・1642年 オランダ人タスマンが発見。
・19世紀 イギリスが進出し、先住民a マオリ人 の抵抗を武力で抑える。
 1840年2月6日 イギリスがワイタンギ条約で先住民a マオリ人  から獲得。
 1907年 イギリスの自治領となる。

Text p.286

 太平洋の分割 
・a フィリピン  スペインの国力衰退に伴い、島民の反乱起こる。
 1898年 b 米西戦争  アメリカがスペインに宣戦 12月パリ講和会議。
  → c グアム 、プエルトリコとともにアメリカ領となる。
 1899年~1902年 アギナルドが指導しd フィリピン=アメリカ戦争 を戦う。
  → 敗れてアメリカ植民地となる。
・e ハワイ  19世紀後半 アメリカ系移民増加、ハワイの経済を握り、併合を求める。
 1840年 立憲王国のf ハワイ王国 となる。
  → 1893年 女王g リリウオカラニ 、退位させられる。
 1898年8月12日 アメリカがh ハワイ併合 (米西戦争の最中、マッキンリー大統領のとき)。
D その他の太平洋地域の分割
 a イギリス :ボルネオ北部、 ニューギニア  東部、ソロモン諸島を獲得。
 b フランス :タヒチ島、ニューカレドニア島などを領有。
 c ドイツ :ビスマルク諸島、カロリン・マリアナ・マーシャル・パラオなど獲得。
ウ.ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗
A 独立後の政情不安 農村の大土地所有制度の残存。貧富の差の拡大。
・複雑な民族構成 → 政情不安つづく。→ メキシコ・中米地区にアメリカが侵出。

Text p.287

・1826年 a ボリバル の提唱でラテンアメリカの共同防衛をめざす会議開催される。
B アメリカの カリブ海政策  アメリカ帝国主義の進出
・1889年 アメリカ合衆国主催でa パン=アメリカ会議  開催。→合衆国の指導力強まる。
・キューバの保護国化
 1895年 カリブ海のスペイン領でb キューバ独立運動 起こる。 ホセ=マルティ が指導。
 1898年  メイン号事件 を機に、アメリカが介入し、c 米西戦争 起こる。
  → アメリカが大勝し、パリ条約でキューバの独立、プエルトリコなどの割譲が決まる。
 1902年 d キューバ 独立。その憲法にアメリカの干渉権を規定(e プラット条項 )。
  → 事実上の保護国とする。▲ グアンタナモ  湾を租借、現在もアメリカ軍基地として存続している。
・セオドア=ローズヴェルトのf 棍棒外交 :軍事力を背景にした武力干渉。
 1902年 英・独のベネズエラ干渉の調停 → ヨーロッパ列強の後退。
 1903年 g パナマ がコロンビアから独立。アメリカは、h パナマ運河 の建設権を獲得。
 1905年 ドミニカ、アメリカの保護国となる。
・タフト大統領は▲i ドル外交 をとる:債務を合衆国が肩代わりして介入を強める。
・ウィルソン大統領はj 宣教師外交 に転換。(後出)
・フランクリン=ローズヴェルト大統領は、k 善隣外交 に転換。(後出)
 メキシコ革命 
・1858~1864年 自由主義派と保守派の内乱おこる( レフォルマ戦争 )。
  → フランスのa ナポレオン3世 が介入し、b メキシコ出兵 
    ハプスブルク家の▲c マクシミリアン を皇帝にすえる。
・d ファレス 大統領、アメリカの援助で仏・ナポレオン3世の侵略を撃退。
・19世紀末~20世紀初めe ディアス 大統領、独裁的な長期政権となる。
  → 一定の近代化を遂げるが、農村の封建的な体制は残る。
・1910年 革命勃発 独裁政治と封建的土地制度に対する反発。
  自由主義者f マデロ 、農民指導者g サパタ ・ヴィリャらが協力しe ディアス を追放。
 ▲1913年 軍人ウェルタがf マデロ を暗殺し独裁権を握るが、翌年追放される。
   → カランサ政権のもとで内戦激化。アメリカ(h ウィルソン 大統領)の介入で混迷。
  1917年 民主的憲法の制定(勤労者の権利・政教分離、大統領に強力な権限を付与)
   → 自由主義的改革を求める路線と、農地改革を目ざす路線が対立、混乱続く。
     19年g サパタ  暗殺される。憲法の実施遅れる。 
エ.列強の二極分化とバルカン危機
 ドイツの世界政策  1890年 ビスマルク辞任後のドイツ帝国
・a ヴィルヘルム2世  世界再分割を主張 → 独露再保障条約の更新を拒否
  → ロシア、フランスと接近。
・1891~94年 b 露仏同盟  → ビスマルク外交の終焉。
・さらにc バクダード鉄道 の建設により、アジア進出をめざす。

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= d 3B政策 
  意味:e ベルリン・イスタンブール・バグダードを結ぶドイツの帝国主義政策。 
  → イギリスのf 3C政策 と対立 →互いに海軍拡張を競うg 建艦競争 を展開。
B イギリスの転換
・日本 1894年 日清戦争の勝利 → 朝鮮半島侵出 → ロシアと対立が強まる。
 イギリス ロシアの中央アジア、東アジアでの南下政策を警戒。→ 日英の利害が一致。
・1902年 a 日英同盟  → イギリス、“b 光栄ある孤立 ”の原則を崩す。
 → 1904年 日露戦争 イギリスは日本支援、ロシアはフランス・ドイツの支援。
 三国協商 の成立
・1904年 a 英仏協商 締結。ドイツに対抗。(ナポレオン時代以来の対立を解消)
・1907年 b 英露協商 締結。バルカンでのドイツの進出に共同で対抗。
  = イラン南部とアフガニスタンを英、イラン北部は露の利権を相互に承認。
    チベットでの中国の主権を認める。
  → C 三国協商 の成立
  意味:独・墺・伊のc 三国同盟 に対抗するイギリス・フランス・ロシアの軍事同盟
  → 植民地などの既得権を守ろうとする帝国主義的な協力関係。
・イタリア:e 「未回収のイタリア」 をめぐりオーストリアと対立しフランスに接近。
  → 三国同盟の実体はドイツ・オーストリア同盟となる。
・イギリスとドイツの対立を軸とした二大陣営の形成。1910年ごろから軍拡競争にはいる。
 バルカン問題 
・オーストリア、a パン=スラブ主義  の影響を抑え、バルカン進出を強める。
・1908年 オスマン帝国でb 青年トルコ革命 が起こり、混乱。(第14章3節参照)
  → 自治領のc ブルガリア は独立宣言。
    オーストリアは、スラブ系の多いd ボスニア・ヘルツェゴヴィナ  を併合。
  → セルビアなどのスラブ系民族がオーストリアに反発。
・1912年 e バルカン同盟 結成。ロシアの指導で結成されたバルカン諸国の同盟。
  = セルビア・ギリシア・ブルガリア・モンテネグロが参加。反オーストリア同盟。

Text p.289

・1912年 f 第1次バルカン戦争 :バルカン同盟諸国がg イタリア=トルコ戦争 に乗じて、
       h オスマン帝国(トルコ) に宣戦。
  → オスマン帝国が敗れ、イスタンブールを除くバルカン半島とクレタ島を失う。
    i アルバニア の独立認められる。マケドニアはセルビア・ブルガリア・ギリシアが分割。
・1913年 j 第2次バルカン戦争 :主にマケドニアの領土分配をめぐりc ブルガリア 
    セルビア・ギリシアが対立。モンテネグロ・オスマン帝国が後者に参戦し、戦争となる。
  → ブルガリアが敗北し、ドイツ・オーストリアに接近。バルカン諸国の領土的不満が残る。
バルカン半島は“k ヨーロッパの火薬庫 ”といわれる


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