第17章 現代の世界
2 社会主義世界の解体と変容
Text p.362
A ソ連社会の停滞
・1970年代の ソ連 a ブレジネフ 体制が続く。絶対的権力を握る。
西側とのb デタント を実現するが、農業生産力の低下、電子産業部門での立ち後れなど表面化。
1977年 最高会議幹部会議長を兼任。 → 経済成長の鈍化、言論の抑圧など停滞が続く。
・▲c 反体制知識人 に対する弾圧を強める。
d サハロフ 「水爆の父」と言われたが反核に転じ、75年ノーベル賞受賞。80年に軟禁される。
e ソルジェニーツィン 『イワン=デニーソヴィッチの一日』でノーベル文学賞受賞。74年、追放。
西側とのb デタント を実現するが、農業生産力の低下、電子産業部門での立ち後れなど表面化。
1977年 最高会議幹部会議長を兼任。 → 経済成長の鈍化、言論の抑圧など停滞が続く。
・▲c 反体制知識人 に対する弾圧を強める。
d サハロフ 「水爆の父」と言われたが反核に転じ、75年ノーベル賞受賞。80年に軟禁される。
e ソルジェニーツィン 『イワン=デニーソヴィッチの一日』でノーベル文学賞受賞。74年、追放。
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A アフガニスタン 情勢
・1973年 王政廃止。共産勢力の人民民主党が台頭。ソ連との連携強まる。
1978年 クーデターでアフガニスタン共産主義政権が成立。しかし内部対立から政権不安定となる。
・1979年 ソ連軍、a アフガニスタン侵攻 。制限主権論に基づく共産主義政権の支援を口実にする。
→ 反政府ゲリラの抵抗により、苦戦が続く。アラブ諸国も反政府活動を支援。国際世論も反発。
→ 1980年 アメリカ・日本などがb モスクワ=オリンピック をボイコット。
・この結果、70年代のデタントは終結し、c 「新冷戦」 に転換。
→ アメリカ合衆国のレーガン政権、SDI構想を発表、米ソ軍拡競争が再燃。
1982年11月 d ブレジネフ 死去 → 後継者アンドロポフ、チェルネンコ、相次いで死去。
→ 改革の機運高まる。
1978年 クーデターでアフガニスタン共産主義政権が成立。しかし内部対立から政権不安定となる。
・1979年 ソ連軍、a アフガニスタン侵攻 。制限主権論に基づく共産主義政権の支援を口実にする。
→ 反政府ゲリラの抵抗により、苦戦が続く。アラブ諸国も反政府活動を支援。国際世論も反発。
→ 1980年 アメリカ・日本などがb モスクワ=オリンピック をボイコット。
・この結果、70年代のデタントは終結し、c 「新冷戦」 に転換。
→ アメリカ合衆国のレーガン政権、SDI構想を発表、米ソ軍拡競争が再燃。
1982年11月 d ブレジネフ 死去 → 後継者アンドロポフ、チェルネンコ、相次いで死去。
→ 改革の機運高まる。
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・内政:情報公開(b グラスノスチ )と改革(c ペレストロイカ )を掲げる。
1986年 d チェリノブイリ原子力発電所 の放射能漏れ事故おこる。
→ 約30万人が死亡。ソ連社会の管理体制の欠陥が明らかにされる。
1989年 複数候補者制選挙による連邦人民代議員大会・連邦最高会議制が実現。
1990年 共産党の指導に代わり、e 大統領制 に移行 初代大統領となる。
→ 社会主義計画経済から、f 市場経済 への移行に踏み切る。
1987年 アメリカ(レーガン大統領)との間でh INF全廃条約 調印(前出)。
1988年 i 新ベオグラード宣言 各国それぞれの社会主義を容認。
→ ソ連邦を構成する諸民族の自立・分離要求強まる。
→ j バルト三国 、グルジアなど分離要求強まる。
1988年 k アフガニスタン撤退 開始。 → 89年に撤退完了。
・1989年5月 中国訪問し、 中ソ関係正常化 。 → 56年以来の中ソ対立終わる。
同 年12月 l マルタ会談 でアメリカ大統領m ブッシュ と会談しn 冷戦終結 を声明。
背景:同年の 東欧革命 による東欧社会主義圏の消滅。
1986年 d チェリノブイリ原子力発電所 の放射能漏れ事故おこる。
→ 約30万人が死亡。ソ連社会の管理体制の欠陥が明らかにされる。
1989年 複数候補者制選挙による連邦人民代議員大会・連邦最高会議制が実現。
1990年 共産党の指導に代わり、e 大統領制 に移行 初代大統領となる。
→ 社会主義計画経済から、f 市場経済 への移行に踏み切る。
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・外交:アメリカとの協調と軍縮の進展につとめる。(g 「新思考外交」 を唱える。)1987年 アメリカ(レーガン大統領)との間でh INF全廃条約 調印(前出)。
1988年 i 新ベオグラード宣言 各国それぞれの社会主義を容認。
→ ソ連邦を構成する諸民族の自立・分離要求強まる。
→ j バルト三国 、グルジアなど分離要求強まる。
1988年 k アフガニスタン撤退 開始。 → 89年に撤退完了。
・1989年5月 中国訪問し、 中ソ関係正常化 。 → 56年以来の中ソ対立終わる。
同 年12月 l マルタ会談 でアメリカ大統領m ブッシュ と会談しn 冷戦終結 を声明。
背景:同年の 東欧革命 による東欧社会主義圏の消滅。
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・1991年8月 ソ連のa 保守派クーデタ 失敗する。
→ ゴルバチョフ、b ソ連共産党解散 を宣言。
同 年9月 c バルト三国 = エストニア ・ ラトヴィア ・ リトアニア 、
ウクライナ 、 ベラルーシ 、 グルジア 、 アゼルバイジャン 、 アルメニア
などが次々と独立宣言。中央アジア5ヵ国も独立宣言(後出)。
同 年12月 d ロシア・ウクライナ・ベラルーシ の三国首脳、ソ連邦の解体を宣言し、
e 独立国家共同体(CIS) ※を結成。旧ソ連の11ヵ国が加盟。
→ ロシアは ロシア連邦 と改称し、大統領にf エリツィン が就任。
※1993年にグルジアが加盟し、12ヵ国となる。
意義:1922年以来のC ソ連の崩壊 。15の独立国家に分かれる。
同時に、g 社会主義を放棄し、資本主義(市場経済)に移行した。
レニングラードをh サンクトペテルブルク の名称に戻す。
→ 急激な市場経済化によりロシア経済の混乱。
→ ゴルバチョフ、b ソ連共産党解散 を宣言。
同 年9月 c バルト三国 = エストニア ・ ラトヴィア ・ リトアニア 、
ウクライナ 、 ベラルーシ 、 グルジア 、 アゼルバイジャン 、 アルメニア
などが次々と独立宣言。中央アジア5ヵ国も独立宣言(後出)。
同 年12月 d ロシア・ウクライナ・ベラルーシ の三国首脳、ソ連邦の解体を宣言し、
e 独立国家共同体(CIS) ※を結成。旧ソ連の11ヵ国が加盟。
→ ロシアは ロシア連邦 と改称し、大統領にf エリツィン が就任。
※1993年にグルジアが加盟し、12ヵ国となる。
意義:1922年以来のC ソ連の崩壊 。15の独立国家に分かれる。
同時に、g 社会主義を放棄し、資本主義(市場経済)に移行した。
レニングラードをh サンクトペテルブルク の名称に戻す。
→ 急激な市場経済化によりロシア経済の混乱。
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2000年5月 j プーチン 大統領就任。 チェチェン独立運動など民族紛争続く。▼
A ポーランド民主化 社会主義政権の食品値上げに抗議ストライキが広がる。
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B ベルリンの壁の開放 ・東ドイツ社会主義経済の停滞、言論統制に対する不満が強まる。
・1989年10月 東ドイツから西側への亡命者の急増。東ドイツ政府、統制とれなくなる。
→ 東ドイツの社会主義統一党a ホネカー 書記長退陣。
同 年11月 東ドイツ政府、出国の自由を自由化発表、b 「ベルリンの壁」 を開放。
→ 市民の手によって壁が壊され、東西ドイツ間の自由な往来が可能となる。
→ 東ドイツの社会主義統一党a ホネカー 書記長退陣。
同 年11月 東ドイツ政府、出国の自由を自由化発表、b 「ベルリンの壁」 を開放。
→ 市民の手によって壁が壊され、東西ドイツ間の自由な往来が可能となる。
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C ドイツ統一 東ドイツの自由選挙で、早期統一を主張する連合党派が勝利。
・1990年3月 東西ドイツ統一条約成立。 10月3日に正式に統一。
背景:西ドイツがアメリカ、イギリス、フランスの同意を得、ソ連も経済援助と引き替えに統一承認。
内容:a 西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一された。
= 統一国家b ドイツ連邦共和国 となる。首都はベルリン。首相はコール(前出)。
背景:西ドイツがアメリカ、イギリス、フランスの同意を得、ソ連も経済援助と引き替えに統一承認。
内容:a 西ドイツが東ドイツを吸収する形で統一された。
= 統一国家b ドイツ連邦共和国 となる。首都はベルリン。首相はコール(前出)。
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D 東欧社会主義圏の消滅
・1989年 ▲a 東欧革命 とも言われる。
・b ハンガリー 1月、複数政党承認など民主化始まる。9月、オーストリアとの国境を開放。
・c チェコスロヴァキア 11月 共産党フサーク政権倒れ、 ハヴェル 大統領就任。
→ 1993年 連邦制が解体 され、チェコとスロヴァキアに分離。
・d ブルガリア 共産党のジフコフ政権倒れ、民主化進む。
・e ルーマニア 1989年12月 独裁者f チャウシェスク 政権、倒される。
・g ポーランド 1989年 憲法改正し民主化実現。 90年、h ワレサ 大統領就任。
・▲i アルバニア 1990~91年 イタリアへの大量脱出。91年 新憲法で社会主義放棄。
・1991年 j コメコン 、k ワルシャワ条約機構 いずれも解消される。
・b ハンガリー 1月、複数政党承認など民主化始まる。9月、オーストリアとの国境を開放。
・c チェコスロヴァキア 11月 共産党フサーク政権倒れ、 ハヴェル 大統領就任。
→ 1993年 連邦制が解体 され、チェコとスロヴァキアに分離。
・d ブルガリア 共産党のジフコフ政権倒れ、民主化進む。
・e ルーマニア 1989年12月 独裁者f チャウシェスク 政権、倒される。
・g ポーランド 1989年 憲法改正し民主化実現。 90年、h ワレサ 大統領就任。
・▲i アルバニア 1990~91年 イタリアへの大量脱出。91年 新憲法で社会主義放棄。
・1991年 j コメコン 、k ワルシャワ条約機構 いずれも解消される。
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E ユーゴスラヴィア の解体
・1980年 a ティトー 大統領死去 → 経済不振と民族・宗教対立が表面化。
・1991年6月 b クロアチア ・c スロヴェニア 独立宣言、セルビアがそれを認めず。
→ d ユーゴスラヴィア内戦 勃発。
9月 e マケドニア も分離独立。
・1992年 f ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 独立宣言。
→ g セルビア・モンテネグロ が新ユーゴスラヴィア連邦を結成し、侵攻。
→ h ボスニア内戦 に突入。セルビア軍によるムスリム人に対する 民族浄化 が行われ非難起こる。
・1999年 i コソヴォ紛争 アルバニア系住民の独立運動をセルビア人政府が弾圧。
・2006年 j モンテネグロ が独立。ユーゴスラヴィア連邦、完全に消滅する。
・2008年 k コソヴォ共和国 独立宣言。ロシア、セルビアは未承認。国連にも未加盟。
・1991年6月 b クロアチア ・c スロヴェニア 独立宣言、セルビアがそれを認めず。
→ d ユーゴスラヴィア内戦 勃発。
9月 e マケドニア も分離独立。
・1992年 f ボスニア・ヘルツェゴヴィナ 独立宣言。
→ g セルビア・モンテネグロ が新ユーゴスラヴィア連邦を結成し、侵攻。
→ h ボスニア内戦 に突入。セルビア軍によるムスリム人に対する 民族浄化 が行われ非難起こる。
・1999年 i コソヴォ紛争 アルバニア系住民の独立運動をセルビア人政府が弾圧。
・2006年 j モンテネグロ が独立。ユーゴスラヴィア連邦、完全に消滅する。
・2008年 k コソヴォ共和国 独立宣言。ロシア、セルビアは未承認。国連にも未加盟。
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E NATOの変質
新しい東欧諸国

a. エストニア
b. ラトヴィア
c. リトアニア
d. ベラルーシ
e. ウクライナ
f. モルドバ
旧チェコスロヴァキア
g. チェコ
h. スロヴァキア
旧ユーゴスラヴィア
i. スロベニア
j. クロアチア
k. ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
l. セルビア
m. モンテネグロ n. マケドニア o. コソヴォ (国連未加盟)
▲補足
・2003年 p グルジア のバラ革命 経済悪化に伴う混乱でシュワルナゼ大統領辞任。
→ 親欧米派のサアカシュヴィリ大統領が新大統領に選出される。
ロシア系住民の多いアブハジア、南オセチアの分離運動起こる。
・2004年 q ウクライナ の オレンジ革命 民主的な大統領選挙を実現。ロシアの影響弱まる。
→ 親欧米派のサアカシュヴィリ大統領が新大統領に選出される。
ロシア系住民の多いアブハジア、南オセチアの分離運動起こる。
・2004年 q ウクライナ の オレンジ革命 民主的な大統領選挙を実現。ロシアの影響弱まる。
1.中国
A 文化大革命 の行き詰まり 1966年から混乱続く
・1971年 a 林彪事件 b 林彪 、毛沢東の排除を画策し失敗、ソ連に亡命途中、墜落死。
→ c 鄧小平 ら旧幹部の復権。文革派と反文革派の抗争続く。
→ 同年、国連代表権承認される。72年、 ニクソン訪中 。日中国交正常化。
1973年 毛沢東、d 批林批孔 運動を提唱。四人組による周恩来追い落としがねらいか。
→ c 鄧小平 ら旧幹部の復権。文革派と反文革派の抗争続く。
→ 同年、国連代表権承認される。72年、 ニクソン訪中 。日中国交正常化。
1973年 毛沢東、d 批林批孔 運動を提唱。四人組による周恩来追い落としがねらいか。
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B 天安門事件 (第1次)
・1976年1月 a 周恩来 首相の死 → 文化大革命・毛沢東への批判強まる。
同 年4月4日~5日 a 周恩来 追悼集会に集まった民衆に四人組の指令で軍が発砲。
→ b 鄧小平 、また失脚。文化大革命への民衆の不満強まる。
同 年4月4日~5日 a 周恩来 追悼集会に集まった民衆に四人組の指令で軍が発砲。
→ b 鄧小平 、また失脚。文化大革命への民衆の不満強まる。
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C 文化大革命の終了
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D 鄧小平の復権 毛沢東の死後、1977年に復権。
・1978年 中国共産党11期3中全会 a 改革開放 に転換。華国鋒は自己批判し失脚。
b 「四つの現代化」 を推進。(周恩来が提起したものを、再提起したもの)
内容:c 国防・工業・農業・科学技術 の育成をはかる。
意義:文化大革命による、社会の混乱を修復し、生産を高める方向に転じる。
・国際社会への復帰
1979年 ▲d 米中国交正常化 → アメリカ(カーター大統領)、e 台湾 と断交。
同 年 ▲f 経済特区 を設置。外国資本と技術を導入し合弁企業の税制優遇。
同 年 カンボジア問題で対立し、ベトナムに侵攻、g 中越戦争 を起こす。
同 年 h 中ソ友好同盟相互援助条約 失効をソ連に通告。翌年失効。
b 「四つの現代化」 を推進。(周恩来が提起したものを、再提起したもの)
内容:c 国防・工業・農業・科学技術 の育成をはかる。
意義:文化大革命による、社会の混乱を修復し、生産を高める方向に転じる。
・国際社会への復帰
1979年 ▲d 米中国交正常化 → アメリカ(カーター大統領)、e 台湾 と断交。
同 年 ▲f 経済特区 を設置。外国資本と技術を導入し合弁企業の税制優遇。
同 年 カンボジア問題で対立し、ベトナムに侵攻、g 中越戦争 を起こす。
同 年 h 中ソ友好同盟相互援助条約 失効をソ連に通告。翌年失効。
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E 鄧小平政権 1981年~1994年
・1981年 ▲a 胡耀邦 党主席、b 趙紫陽 首相。c 鄧小平 は最高実力者となる。
1982年 憲法を改正し、「四つの現代化」を国家目標として掲げる。
1985年 d 人民公社の解体 、農業生産の請負制、外国資本、技術の導入による開放経済、
国営企業の独立採算制など、e 社会主義市場経済 化を進める。
→ ソ連との関係修復。一方で保守派との対立激しくなり、87年a 胡耀邦 解任。
1989年 ソ連のf ゴルバチョフ 大統領の訪中 →関係修復され、中ソ対立が解消される。
1982年 憲法を改正し、「四つの現代化」を国家目標として掲げる。
1985年 d 人民公社の解体 、農業生産の請負制、外国資本、技術の導入による開放経済、
国営企業の独立採算制など、e 社会主義市場経済 化を進める。
→ ソ連との関係修復。一方で保守派との対立激しくなり、87年a 胡耀邦 解任。
1989年 ソ連のf ゴルバチョフ 大統領の訪中 →関係修復され、中ソ対立が解消される。
▼
F 天安門事件 (第2次)急速な近代化政策で市民の権利意識向上するも、政治改革は進まず。
・a 1989 年6月 北京で学生、労働者の「動乱」起こる。戒厳令が敷かれ、軍隊が出動して鎮圧。
原因:b 「民主化なき経済改革」への不満、共産党一党支配に対する民主化要求が高揚した。
c 趙紫陽 は解任、d 江沢民 総書記となる。アメリカなど、共産党政府の人権抑圧を批判。
原因:b 「民主化なき経済改革」への不満、共産党一党支配に対する民主化要求が高揚した。
c 趙紫陽 は解任、d 江沢民 総書記となる。アメリカなど、共産党政府の人権抑圧を批判。
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Text p.366
G 江沢民 の政治 1993年より国家主席。
・1990年 ASEAN諸国と国交正常化。
1993年 ▲憲法を改正。a 社会主義市場経済 ※を基本方針として盛り込む。
※b 政治面では共産党一党独裁を維持しながら、経済面では市場経済化を進める。
・1997年7月 鄧小平死去。イギリスよりc 香港返還 される。→▲d 一国二制度 をとる。
1999年 ポルトガルより▲e マカオ返還 される。
・価格の自由化、国営企業の民営化など市場経済導入を推進、積極的にIT化を進める。
→ 中国経済、急速に発展。
1993年 ▲憲法を改正。a 社会主義市場経済 ※を基本方針として盛り込む。
※b 政治面では共産党一党独裁を維持しながら、経済面では市場経済化を進める。
・1997年7月 鄧小平死去。イギリスよりc 香港返還 される。→▲d 一国二制度 をとる。
1999年 ポルトガルより▲e マカオ返還 される。
・価格の自由化、国営企業の民営化など市場経済導入を推進、積極的にIT化を進める。
→ 中国経済、急速に発展。
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・現在の中国 2001年 ▲d WTO(世界貿易機構) 加盟。
2003年 e 胡錦涛 主席となる。
2005年7月 対米輸出の増加 → アメリカの要請で、▲通貨f 元 を切り上げ。
2008年 北京オリンピック開催予定。
2003年 e 胡錦涛 主席となる。
2005年7月 対米輸出の増加 → アメリカの要請で、▲通貨f 元 を切り上げ。
2008年 北京オリンピック開催予定。
2.アジア・アフリカ諸国
A. モンゴル国 ソ連解体に伴い、社会主義体制から離脱。
・1990年 モンゴル人民共和国、自由選挙を実施。
1992年 国名をモンゴル国とする。
1992年 国名をモンゴル国とする。
B. ベトナム ベトナム戦争の終結 → 76年、ベトナム社会主義共和国。
・中国との対立
1978年 a カンボジアに侵攻 、ポル=ポト政権を排除。 → 中国と対立強まる。
1979年 中国軍が越境、b 中越戦争 起こる。 → 経済悪化、南部ベトナム人の難民化。
・c ドイモイ(刷新) 政策への転換
1986年 市場開放政策に転換。原油生産など増加。経済の活性化を目指す。
1995年 d ASEAN に加盟。さらに アメリカとの国交正常化 に踏み切る。
1978年 a カンボジアに侵攻 、ポル=ポト政権を排除。 → 中国と対立強まる。
1979年 中国軍が越境、b 中越戦争 起こる。 → 経済悪化、南部ベトナム人の難民化。
・c ドイモイ(刷新) 政策への転換
1986年 市場開放政策に転換。原油生産など増加。経済の活性化を目指す。
1995年 d ASEAN に加盟。さらに アメリカとの国交正常化 に踏み切る。
C. カンボジア
・a ポル=ポト政権 1976年 成立。 民主カンプチアと称す。
→ 農業を基盤とした共産主義社会の建設を強行、都市住民の多数が虐殺される。
1978年 b ベトナム軍 が、反ポル=ポト派を支援してカンボジアに侵攻。
・内戦の激化
1979年 首都プノンペンを制圧。カンボジア人民共和国成立(c ヘン=サムリン 元首)。
→ 中国、民主カンプチアを支援し、ベトナムに侵攻(d 中越戦争 )。
政府軍(ヘン=サムリン派)とシハヌーク派・ポル=ポト派など三派が対立。
e カンボジア内戦 が続く。→カンボジア難民、タイなど周辺諸国に大量流出。
1989年 ベトナム軍、カンボジアから撤退。
・和平の成立
1991年 パリ和平会議でf カンボジア和平協定 調印。各派が最高国民評議会を組織。
→ 国連のg カンボジア暫定統治機構(UNTAC) (代表明石康)が監視。
1993年 総選挙実施 国連のh PKO活動 による運営 日本の自衛隊が参加。
→ カンボジア王国(i シハヌーク 国王)成立、議会政治(首相フン=セン)始まる。
1998年 ポル=ポト死去。ポル=ポト派壊滅する。
→ 農業を基盤とした共産主義社会の建設を強行、都市住民の多数が虐殺される。
1978年 b ベトナム軍 が、反ポル=ポト派を支援してカンボジアに侵攻。
・内戦の激化
1979年 首都プノンペンを制圧。カンボジア人民共和国成立(c ヘン=サムリン 元首)。
→ 中国、民主カンプチアを支援し、ベトナムに侵攻(d 中越戦争 )。
政府軍(ヘン=サムリン派)とシハヌーク派・ポル=ポト派など三派が対立。
e カンボジア内戦 が続く。→カンボジア難民、タイなど周辺諸国に大量流出。
1989年 ベトナム軍、カンボジアから撤退。
・和平の成立
1991年 パリ和平会議でf カンボジア和平協定 調印。各派が最高国民評議会を組織。
→ 国連のg カンボジア暫定統治機構(UNTAC) (代表明石康)が監視。
1993年 総選挙実施 国連のh PKO活動 による運営 日本の自衛隊が参加。
→ カンボジア王国(i シハヌーク 国王)成立、議会政治(首相フン=セン)始まる。
1998年 ポル=ポト死去。ポル=ポト派壊滅する。
D. エチオピア
・a ハイレ=セラシェ 皇帝の専制のもと、貴族制度を維持。
・1974年 b エチオピア革命 軍が蜂起、皇帝廃止、社会主義を宣言。経済改革に失敗。
・1974年 b エチオピア革命 軍が蜂起、皇帝廃止、社会主義を宣言。経済改革に失敗。
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1991年 エリトリア解放戦線など反政府勢力により社会主義政権倒される。 1980年代 韓国とも対話を模索。(韓国については17章3節参照)。
一方で83年のラングーン事件、87年の大韓航空機事件などテロ、破壊工作を行う。
1991年 南北同時にb 国際連合加盟 。
・c 金正日 、 1994年a 金日成 死去にともない後継者として権力握る。98年、国家元首。
2000年6月 韓国大統領d 金大中 の北朝鮮訪問。初の両首脳会談。
2002年9月 日本の小泉首相、北朝鮮訪問。 平壌宣言 を発表。北朝鮮が日本人拉致を認める。
2003年1月 e 核拡散防止条約(NPT) からの脱退を宣言。 IAEA の査察を拒否。
→ 北朝鮮の核開発問題で、米・中・韓国・ロシア・日本とのf 六者協議 が始まる。
2003年 北朝鮮、日本人拉致被害者を帰国させる。
・核開発問題
2005年 北朝鮮、核開発を認める。7月 f 六者協議 を再開、核放棄で合意。
→ アメリカの金融封鎖に反発し、協議を離脱。
2006年10月9日 g 核実験 を強行 → 国連安保理の非難決議。
一方で83年のラングーン事件、87年の大韓航空機事件などテロ、破壊工作を行う。
1991年 南北同時にb 国際連合加盟 。
・c 金正日 、 1994年a 金日成 死去にともない後継者として権力握る。98年、国家元首。
2000年6月 韓国大統領d 金大中 の北朝鮮訪問。初の両首脳会談。
2002年9月 日本の小泉首相、北朝鮮訪問。 平壌宣言 を発表。北朝鮮が日本人拉致を認める。
2003年1月 e 核拡散防止条約(NPT) からの脱退を宣言。 IAEA の査察を拒否。
→ 北朝鮮の核開発問題で、米・中・韓国・ロシア・日本とのf 六者協議 が始まる。
2003年 北朝鮮、日本人拉致被害者を帰国させる。
・核開発問題
2005年 北朝鮮、核開発を認める。7月 f 六者協議 を再開、核放棄で合意。
→ アメリカの金融封鎖に反発し、協議を離脱。
2006年10月9日 g 核実験 を強行 → 国連安保理の非難決議。
F.▲ チベット問題 1951年 中国軍、チベット東部に進駐。
・a チベットの反乱 が起きる。1959年。
→ 60年 b ダライ=ラマ14世 、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。
・c 中印国境紛争 起きる。1962年 (以上、前出)
・中国による統治
1965年 中国の「チベット自治区」成立。社会主義化を進める。
1989年 亡命政府b ダライ=ラマ14世 にノーベル平和賞。
1990年代 中国=インド関係の修復進む。
2003年 インドのマジパイ首相の訪中。チベットを中国領と見なす。
2008年3月 チベットで暴動起こる。
・同年 中国西部のd 新疆ウイグル自治区 でも、分離独立運動によるテロ事件が起きる。
→ 60年 b ダライ=ラマ14世 、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。
・c 中印国境紛争 起きる。1962年 (以上、前出)
・中国による統治
1965年 中国の「チベット自治区」成立。社会主義化を進める。
1989年 亡命政府b ダライ=ラマ14世 にノーベル平和賞。
1990年代 中国=インド関係の修復進む。
2003年 インドのマジパイ首相の訪中。チベットを中国領と見なす。
2008年3月 チベットで暴動起こる。
・同年 中国西部のd 新疆ウイグル自治区 でも、分離独立運動によるテロ事件が起きる。
G.▲ 中央アジア 1991年 旧ソ連の5ヵ国が独立宣言。
・ ウズベキスタン共和国 ・ カザフスタン共和国 ・ キルギス共和国 ・ タジキスタン共和国 ・
トルクメニスタン共和国 の西トルキスタン5ヵ国 → CIS(独立国家共同体)に加盟
・いずれもロシア色を薄め、言語などの文化・教育などで民族色を強めている。
イスラーム教の復興も著しいが、ほぼスンナ派の穏健なイスラームが多い。
天然ガス・綿花など豊かな地下資源を背景とした経済の自立をめざしている。
アム川、シル川の灌漑用水の取水増大に伴い、アラル海の枯渇などの環境問題が起こっている。
トルクメニスタン共和国 の西トルキスタン5ヵ国 → CIS(独立国家共同体)に加盟
・いずれもロシア色を薄め、言語などの文化・教育などで民族色を強めている。
イスラーム教の復興も著しいが、ほぼスンナ派の穏健なイスラームが多い。
天然ガス・綿花など豊かな地下資源を背景とした経済の自立をめざしている。
アム川、シル川の灌漑用水の取水増大に伴い、アラル海の枯渇などの環境問題が起こっている。
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