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倭の五王

5世紀に中国の宋以降の南朝に使節を派遣した倭国の五人の王。

5世紀に、倭国の五人の王が、相次いで南朝のに使いを送っていることが『宋書』倭国伝に記されている。その五人の王讃・珍・済・興・武を「倭の五王」と言っており、それぞれ日本側の正史である『日本書紀』の何天皇に当たるかが交渉されている。有力な説としては、讃は応神か仁徳か履中、珍は反正か仁徳、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇にあたるとされている。最後の倭王武の上表文には次のような記載があり、大和政権が日本を統一した過程を示すものとして重要とされている。

史料 宋書倭国伝

 興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍倭国王と称す。順帝の昇明二年使を遣はして表をたてまつる。曰く、封国は偏遠にして、藩を外になす。昔より祖禰(でい)躬ら甲冑を擐(つらぬ)き山川を跋渉し、寧処に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国(中略)」と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。
※興は安康天皇と考えられる。武が雄略天皇。昇明二年は478年。毛人や衆夷は日本書紀の蝦夷、熊襲にあたる。
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ノートの参照
第3章1節 オ.周辺諸国の形成