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ゴーガン

19~20世紀初めのフランス、後期印象派の画家。

ゴーガン『自画像と黄色いキリスト』
ゴーガン『自画像と黄色いキリスト』1889
 Paul Gauguin 1848~1903 ゴーガン(ゴーギャンと綴る場合もある)は19世紀後半フランスの後期印象派の画家。1848年の二月革命で騒然とするパリに生まれ、父は共和派のジャーナリスト、クーデターでナポレオン3世が権力を握ると故国を捨てて南米にむかい、船上で死んだ。子どものゴーガンはそのまま4年間、南米のペルーにとどまった。17歳の時船乗りとなって各地をまわり、その後パリに落ち着き株の仲買人となって家族も持ったが、1883年、35歳でにわかに画家の道を歩むことになり印象派の影響を受けた絵を描いた。しかし絵が売れるはずがなく怒った妻は実家のデンマークに帰ってしまい、ゴーギャンは一人、南太平洋のマルティニク島に向かう。1888年にはゴッホに誘われてアルルで共同生活にはいるがわずか2ヶ月で破綻し、ゴッホは発狂し死ぬ。その後1891年から南太平洋のタヒチに行き、その地で製作に没頭、鮮やかな色彩と斬新な構図で、生き生きとしたタヒチの人々を描いた。一旦パリに戻り、個展を開いたが、世間に受けいれられず、タヒチに戻り、1903年にはドミニカに渡った。その地で貧困と孤独のうちに亡くなった。このようにゴーガンの絵は印象派から出発し、アフリカの原始美術や日本の浮世絵の影響を受け、写実を脱した色彩とかたちで装飾的な効果を生み出した。ヨーロッパの伝統をはみ出した画家であったが、その手法は総合主義とも言われ、現代の絵画に大きな影響を与えた。タヒチ滞在中の手記に『ノアノア』がある。
作品:『自画像と黄色いキリスト』(1889)などの自画像、『イア・オラナ・マリア』(1891年)、『浜辺のタヒチ女』(同)などのタヒチでの作品がよく知られている。その表現は豊かな色彩が用いられているが、印象派とは異なり、明確な輪郭線を持っている。

Episode 『月と六ペンス』

ゴーガン『浜辺のタヒチ女』
ゴーガン『浜辺のタヒチ女』1891
 イギリスの小説家モーム(William Somerset Maugham 1874-1965)は、ゴーガンの生き方に強いインスピレーションを得て、『月と六ペンス』(the Moon and Sixpence 1919)を書いた。この小説ではイギリス人のチャールズ=ストリックランドとなっているが、そのモデルがゴーガンとされている。ストリックランドは株の仲買人であったが40歳を過ぎて画家になることを決意し、妻子を捨ててパリに行く。名誉や金銭には頓着せず、ひたすら創作に励むが、ある時は友人の画家の妻を奪い、同棲したあげくその女が自殺する騒ぎを起こす。そんな奔放な生活を小説の語り手の「私」もついて行けず、いつしか疎遠になる。後になってストリックランドが南太平洋のタヒチに渡ったと知り、「私」はその後を訪ねると、彼はすでに死んでおり、島の人々から、現地で妻となったアタとのはじめて安楽な生活を送ったこと、壮絶な最期とを知る。そして島に残されたその作品に、その創造性をみるのだった。『月と六ペンス』の月とは「人間を狂気に導く芸術的創造熱」を意味し、六ペンスとは「家庭とか社会とかいう世俗的なつながりの無意味さ」を示しているのであろう。<モーム/中野好夫訳『月と六ペンス』 新潮文庫>
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第12章4節 ア.ロマン主義と自然主義
書籍案内

ゴーガン
『ノア・ノア―タヒチ滞在記』
岩波文庫

モーム/中野好夫訳
『月と六ペンス』
新潮文庫