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スルタンガリエフ

タタール人ボリシェヴィキ指導者。ソ連当局によって民族主義に偏向したとして23年に逮捕された。

 ヴォルガ川中流域でかつてカザン=ハン国というイスラーム国家を作っていたタタール人(ヴォルガ=タタール)はイヴァン4世に征服されて以来、ロシア領となっていた。ロシア革命が起きるとタタール人とその南側の同じくトルコ系民族バシキール人にも革命運動が広がり、ロシア人の貴族や反革命軍と戦い、ソヴィエト権力を樹立した。ヴォルガ=タタール人であったスルタンガリエフはボリシェヴィキに協力し、ロシア共産党に加わって反革命と戦い、タタール自治共和国の樹立に大きな役割を果たしたが、次第に党中央のスターリンと意見が対立するようになった。
 彼は西洋で生まれたマルクス主義を普遍的な価値としてそのままイスラーム圏に当てはめることを批判し、プロレタリアが十分育っていない中央アジアのイスラーム圏では、むしろそれまで植民地としてロシア人に抑圧されていたトルコ系民族の民族独立の実現が優先されるべきである、そしてイスラームの教えは平等な社会実現に有効であると考えた。その思想はスターリンによってブルジョワ的、民族主義的偏向であるとして粛清の対象とされ、1923年に逮捕、40年に処刑された。彼の思想はソ連時代には顧みられることはなかったが、東西冷戦が終結しソ連が崩壊した現在、イスラーム圏の民族運動に影響を与えていることが注目されている。<山内昌之『スルタンガリエフの夢』1986 東大出版会 2008 岩波現代文庫で再刊 による>
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ノートの参照
第15章1節 カ.ネップとソ連の成立
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山内昌之
『スルタンガリエフの夢』
1986 東大出版会
2008 岩波現代文庫再刊