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タシケント

トルキスタン地方の中心都市。現在のウズベキスタン共和国の首都。

 現在のウズベキスタン共和国の首都。タシュケントとも表記する。人口は200万を超え、ソ連時代にはウズベク=ソヴィエト社会主義共和国の首都として、モスクワ、レニングラード(現サンクトペテルブルク)に次ぐ、第三の大都市と言われた。現在も市内には地下鉄が走り、大きなビルが建ち並んでおり、空港はロシアと東アジアを結ぶ中継地なっている。

タシケントの歴史

 もともと東西交易のシルクロード上のオアシス都市として繁栄し「チャチ」と呼ばれていたが、中国資料には「石国」として出てくる。ティムール帝国では都はサマルカンドに置かれていた。1809年からはフェルガナ地方に興ったコーカンド=ハン国に属していた。劇的な変化を遂げたのはロシアの中央アジアへの侵出が強まった19世紀後半で、1867年にロシアのトルキスタン総督府が置かれ、ロシア人、ロシア企業の進出もあいつぎ現在のタシケント市となった。ソ連邦が消滅し、ウズベキスタン共和国として独立した現在も、ロシア系住民が多く、市街地の西側の旧市街は入り組んだ無数の小路が網の目のようになっているムスリム都市、東側のロシア人居住区は整然とした街路と建物がつくられ、ロシア正教教会などソ連時代の風情が色濃く残っている。新市街の中心にはかつてレーニン像が建っていたところに現在では巨大なティムール像が建っており、時代の変化を感じさせる。また旧市街の中心には広大なバザール(市場)があり、ありとあらゆる商品が活発に取引されている。

Episode タシケントの日本人墓地

 市内のムスリム墓地の一角に、日本人の墓がある。これは、第2次世界大戦中にシベリアで捕虜となった日本兵捕虜がタシケントの収容所に送られ、そこで亡くなった人の墓であり、79名が葬られている。現在は美しく整備され、墓碑も建っている。ウズベキスタンの他の都市にも同様の日本人墓地があるという。2006年、ウズベキスタンを訪問した小泉首相もこの墓所をお参りした。タシケントの町の中心部にあるナヴォイ・オペラ劇場は、日本人捕虜が動員されて建造され、その技術で大地震でも倒れなかったとして称讃されているという。
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ノートの参照
第15章1節 カ.ネップとソ連の成立