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ニエレレ

イギリス領タンガニーカの独立運動を指導。1961年に独立を達成、タンザニアで社会主義国家建設を目指した。

 東アフリカのイギリス植民地であったタンガニーカの独立運動を指導し、1960年の「アフリカの年」の翌年、1961年に独立を達成した。1964年にはザンジバルと連合してタンザニア連合共和国とし、ひき続き大統領をつとめ、1985年引退まで、社会主義を掲げた政権を維持した。
 第二次世界大戦後の1954年、アフリカ・タンガニーカの独立運動組織TANU(タンガニーカ=アフリカ人国民会議)を組織、党首となった。教員出身のためムワリム(先生という意味のスワヒリ語)というニックネームで親しまれた。TANUはスワヒリ語を通じて運動を広げ、イギリス当局が認めた総選挙で議会の多数を占め、ニエレレが首相となり、1961年に独立を勝ち取り大統領になった。1964年にザンジバルと連合して成立したタンザニア連合共和国でも大統領となる。

「ウジャマー社会主義」を掲げる

 ニエレレは1967年、「アルーシャ宣言」と言われる独自の社会主義路線を表明、それをスワヒリ語で友愛、家族愛を意味する語を冠して「ウジャマー社会主義」と称した。それは、タンザニアが農業国であることを前提に、「伝統的なアフリカの土地所有関係と拡大家族の協同労働の上に成立する共同体成員同士の相互扶助の精神」を生かしながら、自発的な集団農場を普及させようとするもので、ソ連型とも中国型とも違う独自の社会主義を実現しようとする試みであった。具体的には第一段階では集村化をはかり、第二段階で共同畑を設置し、第三段階で集団化、平等化を実現し「ウジャマー村」を建設するという計画であった。第二段階までは自発的に進み、水の供給、教育、医療などの普及など成果が生まれたが、第三段階には富農の抵抗など階級対立が表面化して順調に進まず、強制的な措置がとられるようになり、反発も強まった。ニエレレは国際政治では非同盟主義を守る一方、アフリカ統一機構には積極的に参画した。彼のウジャマー社会主義は順調には進まなかったが、国民の支持は強く、21年にわたって大統領を務め、1985年に引退した。<岡倉登志『ブラック・アフリカの歴史』1979 三省堂 p.186,209,210-214 などによる>