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スワヒリ語

ムスリム商人の活動によってアフリカ東海岸の現地語とアラビア語が融合して生まれた言語。

 アフリカ東海岸では、季節風を利用したインド洋交易圏がおこなわれていた。インド洋では11月から3月は南西にむかって吹き(カシカジという)、4月から10月には反対に北東にむかって吹く(クシという)季節風を利用し、ムスリム商人ダウ船を操ってアフリカ東岸に往来し、盛んに交易がおこなわれた。マリンディキルワザンジバルモンバサなどが海港都市として繁栄し、これらの都市では現地のバントゥー語系の言語にアラビア語などの語彙が採り入れられて、スワヒリ語という独特の言語が用いられるようになった。スワヒリとは「海岸」または「縁」と言う意味のアラビア語に由来する。基本的にはアフリカの言語の一つであるバントゥー語の系統であるが、アラビア語の語彙、さらにポルトガル語、トルコ語、インド系言語、マレー語、ペルシア語、英語などの語彙がまじって形成された。

川田順造『地域からの世界史9 アフリカ』
朝日新聞社 p.93 より転載
 このスワヒリ語に代表される、この地域に形成された独特の文化をスワヒリ文化とも言う。スワヒリ語は現代では内陸アフリカにも普及し、アフリカの地域共用語としての重要性が増している。特にケニアタンザニアでは国語とされている。なお、スワヒリ語ははじめはアラビア文字で書かれていたが、18世紀にキリスト教布教の便宜のためローマ字表記が始まり、現在ではローマ字で書かれている。

スワヒリ文化の形成

(引用)スワヒリ語は現地社会の住民と外来の商人が接触した結果生まれた文化変容の一つで、アラビア語などの外来の言語の語彙を豊富にもつ一方で、バントゥー系諸語の文法構造を保持している。10世紀に入ってかあのアラブ史料のなかに、スワヒリ語の単語とおぼしきものが散見されるが、現在のような形の言葉になったのは13世紀以降と考えられている。そして本格的なスワヒリ語の文献が登場するのは、このポルトガル人によるインド洋交易網の寸断のあと、17世紀にはいってからである。現代スワヒリ文化の要素とされている都市性、イスラーム、スワヒリ的生活様式などがしだいに成熟し、沿岸部全域に伝播していったのも、同様に17世紀を待たなくてはならない。<宇佐美久美子『アフリカ史の意味』世界史リブレット14 1996 山川出版社 p.68>
タンザニアの国語 沿岸部での現地人と外来者である商人との接触から生まれたスワヒリ語は、交易圏が内陸に広がるにつれて、内陸でも用いられるようになった。多くの言語系に分かれたアフリカにおいて、部族の枠を越えて比較的広範囲に共通語が広がったのは、19世紀のイギリスやフランスの植民地支配の結果として広がった英語やフランス語を別として、他では見られないことであった。イギリス委任統治領だったタンガニーカで1950年代に始まった独立運動を指導したニエレレは、スワヒリ語を用いることで部族間の対立を克服し、1961年のタンザニアの独立を実現させた。タンザニアでは現在、英語が公用語となっているがスワヒリ語も国語として用いられている。
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ノートの参照
第5章3節 ウ.アフリカのイスラーム化
書籍案内

川田順造
『地域からの世界史9 アフリカ』
1993 朝日新聞社

宇佐美久美子
『アフリカ史の意味』
1996 山川出版社