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2013年度 詳説世界史 準拠ノート

Text p.106

第4章 イスラーム世界の形成と発展

2節 イスラーム世界の発展

用語リストへ ア.東方イスラーム世界
■ポイント 中央アジアの遊牧民トルコ人のイスラーム化とその民族移動の動きを知る。
 マムルーク の出現
マムルーク
A マムルーク の練習風景
(14世紀)
・a トルコ人  中央アジアで遊牧生活を送り、騎馬戦士として優れていた。
 → イスラーム勢力の進出の結果、次第にイスラーム化。(6章1節で説明)
・9世紀頃 アッバース朝のカリフ、A マムルーク を親衛隊とする(前出)。
 = b トルコ人などの奴隷を騎馬兵力とした、奴隷兵士。 
※トルコ人以外にスラブ人やギリシア人、チェルケス人、クルド人などを含む。
 次第に発言力を強め、政治にも介入し、カリフ権力の低下を招く。
・9~10世紀のイスラーム世界の各王朝で軍事力の中心となり、一時は王朝も建てる。
 セルジューク朝  中央アジアのシル川流域に興ったa トルコ人 の王朝。
・軍事力にb マムルーク を採用し、移動を開始。ニーシャプールに進出。
・1055年 c トゥグリル=ベク がd バグダード に入城。
  ブワイフ朝を倒す。 → アッバース朝のカリフから、e スルタン の称号を得る。
  = f 政治的支配者の意味。イスラーム世界の政教一致の原則が崩れる。   
・g スンナ派 イスラーム教を奉じ、h シーア派 のエジプト・ファーティマ朝と対立。
・バグダード、イスファハーンなどに学院(i マドラサ )を建設。g スンナ派 の神学と法学を奨励。
 = イラン人宰相j ニザーム=アルムルク にちなみk ニザーミーヤ学院 といわれる。

解説

 セルジューク朝は、11世紀末のマリク=シャーのもとで全盛期となり、名宰相ニザーム=アルムルクのもとでイクター制という軍事・土地制度が整備され、またニザーミーヤ学院の創設など、学問も保護された。アラビア文学を代表する『ルバイヤート』の作者としても知られる科学者ウマル=ハイヤームが活躍したのもマリク=シャーの時代である。
・1071年 ▲l マンジケルトの戦い でm ビザンツ帝国 軍を破る。アナトリア(小アジア)に進出。
 → さらにシリア地方を征服する。ビザンツ皇帝、キリスト教の聖地n イェルサレム への巡礼が妨害されたとして
   キリスト教世界にo 十字軍運動 を呼びかける。(1096年に開始。後出)
※実際には巡礼に対する妨害の事実はなく、n イェルサレム では両宗派の信者が共存していた。

地図 イスラーム世界の拡大

11世紀のイスラーム世界

 セルジューク朝   b ファーティマ朝   c ガズナ朝   d カラ=ハン朝   e ムラービト朝 
 ビザンツ帝国   1 メッカ   2 メディナ   3 バグダード  イェルサレム 
 カイロ   6 イスファハーン   7 ニーシャプール   8 サマルカンド   9 ガズナ 
10 ゴール   11 マンジケルト   12 コルドバ   13 マラケシュ   14 コンスタンティノープル 

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 イスラーム世界の拡大  イスラーム国家は分裂したが、イスラーム教圏は拡大した。
 10世紀 a カラ=ハン朝  トルコ人。中央アジアにイスラーム文化が広がる。
  → 999年 サーマーン朝を滅ぼし、東西トルキスタンを併合。11世紀に分裂し衰退。
 962年 b ガズナ朝  アフガニスタンから興ったトルコ系イスラーム王朝。
 → 北インドに侵入を開始。12世紀にゴール朝に滅ぼされる。
・▲11世紀 セルジューク朝の分裂 小アジアに一族がc ルーム=セルジューク朝 を建国。都ニケーア。
  → 11世紀末、d 第1回十字軍 の攻撃を受け都をコンヤに移す。

解説

ガズナ朝はサーマーン朝のマムルークであったアルプテギン が建国した。トルコ系の国家としては、他に、アム川下流域で自立し、イラン・アフガニスタンをも奪ったはホラズムがある。ホラズムとセルジューク朝などトルコ系王朝は、いずれも13世紀にモンゴルの侵攻により滅亡する。
 モンゴルの侵入 

■ポイント モンゴル帝国を学んだ後の方が理解しやすい。ここではモンゴル人もイスラーム化したことだけを理解。

・1258年 モンゴルのa フラグ 、バグダードに入城。b アッバース朝 の滅亡。
 = カリフ制度が消滅。カリフはエジプトのマムルーク朝に亡命した。
  → イラク・イランを併せて、c イル=ハン国 を建設。マムルーク朝と対立。

解説

13世紀前半、モンゴル人はチンギスハンによって統一され、第2代オゴタイ=ハンの時、に大膨張を遂げた。ヨーロッパキリスト教世界にはバトゥが遠征し、西アジアにはフラグが大遠征を行った。オゴタイ=ハンの死去により遠征軍は引き上げたが、征服地にはモンゴル人の支配する国家が作られた。西アジアではイランからシリアにかけて、イル=ハン国が出来た。モンゴル人が支配する国家だが、役人はイラン人が登用され、ハン(国王)もイスラーム教を信仰するようになった。
 イル=ハン国のイスラーム化 
・13世紀末 a ガザン=ハン  自ら改宗し、イスラーム教を国教とする。
 → モンゴル式税制からイスラーム式税制に改め、農村の復興させる。 → イラン社会の安定。
・イラン人宰相b ラシード=アッディーン を登用。モンゴル帝国の歴史書c 『集史』 を編纂。
・モンゴル人の支配のもと文化面はイラン人に支えられ、f イラン=イスラーム文化 が成熟。
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用語リストへ イ.バグダードからカイロへ
■ポイント カイロを都にしたアイユーブ朝は12世紀の十字軍、マムルーク朝は13世紀のモンゴルをそれぞれ撃退した。
サラディン

 サラーフ=アッディーン 

 アイユーブ朝  a サラディン(サラーフ=アッディーン) (右図)
 ファーティマ朝などに仕えたb クルド人 武将。
・1169年 エジプトに王朝を樹立し、1171年 c ファーティマ朝 を倒す。
 → エジプトにd スンナ派 を復興した。
・1187年 ▲ヒッティーンの戦い でe イェルサレム を奪回。
 → さらに聖地奪回を目ざしたf 第3回十字軍 を撃退(後出)。
 → イギリス王リチャード1世は講和に応じ、聖地回復できないまま帰国。

解説

イスラーム名はサラーフ=アッディーンであるが、第3回十字軍と戦ったとき、その名がヨーロッパに伝えられ、サラディンと言われた。クルド人とは、現在もイラン、イラク、トルコの国境地帯に居住する民族で、イスラーム教を信仰していた。サラーフ=アッディーンはダマスクスにあったザンギー朝に仕えていたが、神学者として台頭し、エジプトのファーティマ朝の宰相となり、1169年にアイユーブ朝を建てた。イェルサレムを奪回し、第3回十字軍を破り、イスラーム圏では英雄視されている。彼の建てたアイユーブ朝でも、マムルーク軍団を組織していた。彼の死後に内紛が起き、アイユーブが実権を握ってアイユーブ朝となる。
 マムルーク朝 
・1250年 a マムルーク 勢力がクーデターによりアイユーブ朝を倒し、エジプト・シリアを支配。
・1260年 スルタンb バイバルス 、シリアに侵入したc イル=ハン国 軍を破る。
 = ▲ アインジャールートの戦い  → モンゴルの西進が止まる。
  → さらにアッバース朝カリフをd カイロ に擁立、メッカ・メディナを保護下に置く。
  = イスラームの正当な支配者としての権威を高め、イスラーム世界の中心となる。
・首都d カイロ の繁栄。 ナイル川の順調な増水と政治の安定 → 小麦・大麦など主要作物の生産の向上。
  → さらに商品作物としてe サトウキビ 栽培が普及し砂糖は重要な輸出品となる。
  → 首都を拠点としたf カーリミー商人 を保護(後出)。地中海・インド洋貿易(紅海経由)を独占。
  → g カイロがバグダッドに代わり、イスラーム世界の政治・経済・文化の中心地となる。 

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・h アズハル学院 (ファーティマ朝が建設)が新たなスンナ派イスラーム学の中心となる。
・▲1291年 シリアに残ったキリスト教徒の拠点、i アッコン を攻略。十字軍を完全に駆逐。
・▲14世紀後半 ペストの流行により領内の人口が激減した。
  → マムルーク軍団の間の争いが激化し、次第に衰退。
・1517年 オスマン帝国に滅ぼされる。(後出)
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用語リストへ ウ.西方イスラーム世界の変容
■ポイント 11世紀に東方でのトルコ人と同様に、西方のベルベル人がイスラーム化したことを理解する。
 北アフリアのイスラーム化  11世紀なかば 先住民のa ベルベル人 のイスラーム教への改宗運動起こる。
 = b マグリブ 地方(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)で遊牧生活を送るハム系、セム系、ネグロの混血民族。
 ムラービト朝  1056年~1147年 モロッコを中心としたa ベルベル人 のスンナ派信仰集団。
・1070年頃、新都b マラケシュ を建設。マグリブに進出し、シーア派のc ファーティマ朝 に対抗。
・1076~77年 ジハードと称して南進、黒人王国c ガーナ王国 を滅ぼす。(後出)
・1086年 d イベリア半島 に進出。イスラーム諸国を征服し、キリスト教徒のe  国土回復運動 に対抗。
 ムワッヒド朝  1130年~1269年 神秘主義の影響を受けたスンナ派信仰集団
・12世紀初め、モロッコに出現。a イベリア半島 に進出。コルドバ、セビーリャ、グラナダなどを支配。
・1147年 ムラービト朝を滅ぼし、都をb マラケシュ に定める。マグリブ地方全土を支配する。
・13世紀 キリスト教徒によるc  国土回復運動 におされイベリア半島から撤退。

解説

ムワッヒド朝のヤークーブ=マンスールは、1195年のアラルコスの戦いで、イベリア半島のキリスト教国カスティリャ軍に大勝した。農業の改良、鉄などの資源開発、サハラとの交易、皮革などの手工業の発達によって繁栄した。また文化面では、コルドバで生まれたイブン=ルシュド(後出)などが活躍した。しかし、1212、アラゴン・カスティリャ・ポルトガル連合のキリスト教軍に敗れ、半島から撤退し、1269年に滅亡した。
その後のマグリブ地方には、ベルベル人のイスラーム王朝が自立し、モロッコのマリーン朝、アルジェリアのザイヤーン朝、チュニジアのハフス朝の政権がそれぞれスルタンを称した。
 ナスル朝   1232年、イベリア半島のアラブ人勢力をまとめ、に建国。支配領域は一部に留まる。
・14世紀 都a グラナダ 中心にイスラーム文化栄える。b アルハンブラ宮殿 の建設。(後出)
 = c アラベスク によって装飾された、西方イスラーム文化を代表的する建築物。
・d 国土回復運動の完了  キリスト教勢力の攻勢により、イスラーム勢力は次第に領土を失う。(後出)
 ・e 1492 年 スペイン王国がa グラナダ を陥れる。ムスリムの多くは北アフリカに移った。
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Text p.110


用語リストへ エ.イスラームの国家と経済
■ポイント イスラーム国家のイクター制のしくみと、ムスリム商人の活発な交易活動を理解する。
1.a 貨幣経済 の発展 : ウマイヤ朝で、ディーナール金貨ディルハム銀貨 が鋳造される。
  → ウマイヤ朝、アッバース朝は、都市と農村から、貨幣と現物の二本立てで徴税。
  → カリフは、官僚・軍隊には現金で給与を支給(軍人への俸給を アター という)する体制を維持した。
2.財政・税制の変化 : 9世紀 a マムルーク の台頭 → 地方政権の自立、カリフ権の衰退 → 国庫収入減少。
 10世紀半ば b ブワイフ朝 がバグダッドを占領。c イクター制 の採用。  = d 軍人に俸給額に見合う土地の徴税権を与え、見返りとして、軍事奉仕の義務を負わせる制度。 
 都市に住む軍人は与えられた土地(イクター)に代理人を派遣し徴税し、その収入で軍備をととのえた。
・e セルジューク朝 に継承されて広く西アジアのイスラーム世界におけるe 徴税と軍事の基本制度  となる。
3.活発な商業活動 : スルタンとイクター保有者による保護により商業活動が活発に行われた。
・a カーリミー商人  アイユーブ朝、マムルーク朝の保護を受けた、b カイロ を拠点とした商人集団。
 → c インド商人とイタリア商人を仲介する東西交易  に活躍した。
 インド商人から東南アジア・インド産のd 香辛料 、中国のe 絹織物・陶磁器  などを買い受け、紅海・ナイル川
 を利用し、f アレクサンドリア から地中海に出てg ヴェネツィアやジェノヴァ  のイタリア商人に売りさばいた。
ダウ船
ムスリム商人のk ダウ船 
 → 通商による利益をモスクやマドラサ(学校)の建設に注ぎ、
 h イスラーム文化の保護者の役割  を果たした。
・ムスリム商人の活動
 i キャラバンサライ(隊商宿) =宿泊施設兼倉庫 
  街道上に置き内陸アジアと奴隷や香辛料、馬などを仕入れる。
  j 海の道   モンスーン(季節風)を利用した海上交易。
 k ダウ船  (三角帆の帆船)で外洋を盛んに航海。(P.171を参照)
   → 中国・インド・東南アジア・アフリカに進出。
 唐代に杭州や広州に蕃坊を設け、大食と言われた。(前出)
 ・意義 l イスラーム教の伝播に大きく貢献した。  

解説

紅海、アラビア海、インド洋で活躍したムスリム商人(アラビア商人)が使っていた大型の木造帆船をダウ船といい、大きな三角帆が特徴。最大のダウ船は3000トンもあり、ラクダ600頭を積むことが出来たという。

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ガレオン船
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