民会
ゲルマン人の社会の部族会議。主として戦争などの大事は部族員の全員参加する民会で決められた。
ライン川とドナウ川を結ぶ線の北側で狩猟生活を主に送っていたゲルマン人は、種族ごとにいくつかの小国家(キウィタスという)をつくっていた。キウィタスはいくつかの部族に分かれ、それぞれ首長に率いられていた。キウィタスの小事は首長たちが集まって決めたが、大事な決定は構成員の全員が参加する民会で行われた。
資料 ゲルマン人の民会
ローマ帝国時代の1世紀末~2世紀初めの歴史家タキトゥスが著した『ゲルマーニア』は民会の様子を次のように伝えている。(引用)彼らは一定の時期、すなわち新月、あるいは満月の時を期して集会する。これが事を起こすに、最も多幸なるはじめの時と、彼らは信じているからである。……集まった彼らがよしと思ったとき、彼らは武装のまま着席する。……やがて王あるいは首長たちが、それぞれの年齢の多少、身分の高下、戦功の大小、弁舌の巧拙に相応して、いずれも命令の力よりは、説得の権威をもって傾聴される。もしその意見が意に適わないとき、聴衆はざわめきの下にこれを一蹴する。しかしもし、意にかなった場合、彼らはフラニア(小型の鉄製の手槍)を打ちならす。最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称賛することである。<タキトゥス『ゲルマーニア』泉井久之助訳・岩波文庫 p.65>