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中国の旅

北京周辺の旅でどうしても訪れたいと思っていた盧溝橋に行ってみました。古い典型的な城壁都市、宛平城の町はずれにそれはありました。金の時代に作られ、マルコポーロもわたったという古い橋ですが、それよりも日中戦争の始まったところとして、忘れられない場所です。宛平城の町中には、立派な抗日戦争記念館も建てられていました。(2007年3月3日)

7.盧溝橋を訪ねて

宛平城
盧溝橋は、北京の南西、バスで約時間ほど。
周口店に向かう途中にある。
橋の北京よりには、宛平城がある。
城壁や城内は清時代の様子が復元されている。
この城内に、抗日戦記念館がある。
近代的な立派な建物だ。
日中戦争当時の武器や写真が主な展示で、
当然の事ながら日本軍の残虐行為を告発するもの
となっていが、あまりどぎついものはなく、
抑制のきいたものだった。
共産党の指導によっていかに抗日戦を勝利したか、
を後世に伝えたいという、
中国政府の、というより中国共産党の
一つの存在証明がここにあるようだ。
当日は雨で参観者は少なかったが、
われわれ以外に日本人の青年二人が熱心に見ていた。

宛平城の城門入り口(北側より)


雨の宛平城
左・城内 右・城門(南側)
抗日戦記念館


旧日本軍戦車?
盧溝橋
盧溝橋の創建は、金の1189年。
マルコ=ポーロも訪れ、この橋のすばらしさを記している。
そこで西洋ではマルコ=ポーロ・ブリッジとして知られている。

清の乾隆帝がこの地の風景を愛でて「盧溝暁月」の碑を建てた。
それが左の碑である。盧溝橋は、蘆溝橋とも書かれていたが、
近年、この碑文にもとづいて盧溝橋に統一することとなった。

欄干の柱には、さまざまな獅子の像があり、
端では小さな象が欄干を支えている。
側面を見ると、11のアーチが橋を支えている。
全長212m。幅は8m。永定河に架かる橋だが、訪れた日は
川水は無かった。


石畳は創建当時のも





  欄干の親子)獅子





 欄干を支える象
北側の宛平城を眺む 盧溝橋のアーチ
1937(昭和12)年7月7日、上の写真の左手にあった日本軍の兵営付近で
一発の銃声が響いた。それを機に、日本軍と中国軍が衝突。
いわゆる盧溝橋事件。全面的な日中戦争が始まった。
訪ねた日は雨で物音一つ無い静かさだった。
宛平城の城壁にはその時の弾痕が今に残っているという。