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第8章 アジア諸地域の繁栄

3 トルコ・イラン世界の展開

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ア.ティムール朝の興亡
 ティムール朝 
14世紀中ごろ 中央アジアのa チャガタイ=ハン国 、東西分裂。
・1370年 西チャガタイ=ハン国出身のb ティムール ※が建国。
   ※チンギス=ハンの子孫と称する、トルコ=モンゴル系のイスラーム国家。
・c サマルカンド を復興させ、首都とする。
  → 東西トルキスタンを統一し、さらにd イル=ハン国 滅亡後の領土を併合。
  → 南ロシアのe キプチャク=ハン国 、北インドに侵入。さらに小アジアに進出。
・1402年 f アンカラの戦い :g オスマン 軍を破り、バヤジット1世を捕らえる。
  → ▲さらにh 明 への遠征を計画、途中オトラルで病死(1405年)。
・▲内紛おこる。第3代のi シャー=ルフ 、都を ヘラート に設ける。
 トルコ=イスラム文化  
・a ティムール がイラン人とトルコ人の世界を統一したことによって成立。
  → イル=ハン国以来のb イラン=イスラム文化 が中央アジアのトルコ人に伝わる。
・首都c サマルカンド の繁栄。

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・14~15世紀 中央アジアの商業・学芸の中心となる。壮大なモスクの建設。
  イラン文学、d ミニアチュール(細密画) 、トルコ語の文学作品の傑作が生まれる。
 e ウルグ=ベク 、天文台を建設。サマルカンド、ブハラなどにマドラサを建設。
  → 天文学、暦法も発展。 → 暗殺され、以後衰退する。
 宰相 アリーシール=ナヴァーイー 、チャガタイ=トルコ語による詩作を通じトルコ文学の祖となる。
 ティムール朝の滅亡   ティムールの死後、東西に分裂し衰退。
・1507年 中央アジアにトルコ系a ウズベク人 のb シャイバニ によって滅ぼされる。
  →  シャイバニ朝 が成立。都はブハラに移る。
  → イランにはサファヴィー朝が成立。(後出)
  → ティムール一族のc バーブル 、サマルカンドを奪還するも敗れてインドに向かう。(次章)
 ▲東トルキスタン ウイグル人、モンゴル系 ジュンガル に支配される。後に清朝が進出。
D▲ ウズベク人  の諸国 西トルキスタンに3ハン国分立
・16世紀 シャイバニ朝、a ブハラ=ハン国 と言われるようになる。ついでb ヒヴァ=ハン国 が分立。
 1710年ごろ c コーカンド=ハン国 が分立。
・19世紀後半、ロシアの南下政策によって制圧され、実質的にロシア領となる。(13章3節) 
イ.オスマン帝国の成立と発展
 オスマン帝国の成立  13世紀末 a 小アジア の▲ルーム=セルジューク朝が衰退。
・1299年 そのトルコ人家臣のb オスマン=ベイ が戦士集団を率いて有力となる。
  → 小アジア西北部で自立し、オスマン1世として建国。最初の都は小アジアのブルサ。 
 バルカン半島進出  a ビザンツ帝国 の衰退に乗じて進出。→ ヨーロッパ諸国に脅威となる。
・1366年  ムラト1世  ビザンツから奪ったb アドリアノープル を都とし、エディルネと改称。
  → c スルタン の称号を用いる。またd イェニチェリ を創始し、新たな軍事力とする。
・1389年 ▲e コソヴォの戦い  セルビア人などスラブ諸民族の連合軍を破る。
  → イスラーム教のバルカン波及の始まり。
 バヤジット1世  第4代スルタン
・1396年 a ニコポリスの戦い でハンガリー王▲ ジギスムント の率いるバルカン諸国と
       フランス・ドイツ・イギリスの連合軍(十字軍と称した)を撃破。
・1402年 b アンカラの戦い でティムール帝国に破れ捕虜となる。→ 一時衰退。
 メフメト2世   第7代スルタン 国力を回復。
・1453年 a コンスタンティノープル を占領。b ビザンツ帝国 を滅ぼす。
  → c イスタンブル と改称、首都とする。 トプカプ宮殿 などを造営。
 セルビア、アルバニアなどを併合。黒海北岸に進出。バルカン半島に領土を拡大する。
  → 「征服王」と言われる。
 セリム1世   第9代スルタン 
・1514年 イランのa サファヴィー朝 を破り、1516年にシリアに進出。
 1517年 b マムルーク朝  を滅ぼし、エジプトを併合。
  → イスラーム教の両聖都c メッカ とd メディナ の保護権を獲得。
  = オスマン帝国のe スルタン が、カリフ政治の後継者と認められ※、
    宗教的にもf スンナ派イスラーム教 の擁護者となる。
 ※これによってオスマン帝国のg スルタン=カリフ制 が始まるとされている。

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 スレイマン1世    第10代スルタン オスマン帝国の全盛期。 
・16世紀前半 南イラク、北アフリカ、バルカン北部に領土を拡大。
 1526年 a モハーチの戦い でb ハンガリー 軍を破り、同国を支配下に置く。
  1529 年 c 神聖ローマ帝国 の首都d ウィーン を包囲(第1次)。
   → 宗教改革期のキリスト教世界を圧迫。→ 1カ月包囲した後に撤退。
 1538年 e プレヴェザの海戦   スペイン・ローマ教皇・ヴェネツィアの連合軍を破る。
・1536年 フランス(フランソワ1世)と同盟、f カピチュレーション  を認める。
   内容=gフランス商人のオスマン帝国内での居住と通商の自由を認めた通商特権。
    → 後にイギリス・オランダにも認められ、西欧諸国の進出の足がかりとなる。
   背景:フランス(フランソワ1世)と神聖ローマ帝国(カール5世)の対立。
・1557年 h スレイマン=モスク を建設。建築家 ミマーリ=シナン に命じる。
      ハギア=ソフィア聖堂を手本とした、オスマン時代の代表的ドーム建築。
・領土拡張と中央集権化を進め、▲立法者(カーヌーニー)と言われた。1566年死去。
・1571年 i  レパントの海戦  スペインの無敵艦隊に敗れる。(後出)
  → オスマン帝国は東地中海の航行権を維持し、17世紀末まで大きな勢力として続く。
    18世紀から衰退が始まり、西欧列強の侵略を受け、1922年に滅亡。
★オスマン帝国の政治
・a スルタン の専制支配:政治権力と共に宗教的権威をもつ▲b スルタン=カリフ制 
   基本はイスラーム法=▲c シャリーア にもとづく政治。
    → スルタンの勅令や慣習法は▲ カーヌーン と言われ、それを補った。
  ・州・県・郡に分かれた整然とした行政機構。
  ・キリスト教徒・ユダヤ教徒のそれぞれの共同体(d ミッレト )には自治を認める。
★オスマン帝国の軍隊組織
・騎士軍団=トルコ人在地騎士( シパーヒー )にはe ティマール (徴税権)を与える。
    = ブワイフ朝以来のイクター制を継承したもの。
  ・f イェニチェリ 軍団 = キリスト教徒で強健・美貌の青年を奴隷としたもの。
    →  デウシルメ (強制徴兵)によって徴兵。スルタン直属軍として各地の征服で活躍。
補足 ▲17世紀の オスマン帝国の衰退
  スルタンの権威の低下 → 大宰相( ヴェジラーザム )が実権握る。

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ウ.サファヴィー朝の興隆
 サファヴィー朝 の建国 
・ティムール朝の滅亡後、イランでa 神秘主義教団 の勢力が強まる。
・1501年 b サファヴィー教団 の長b イスマーイール1世 
   遊牧民を率い王朝を開く。 首都 ▲c タブリーズ 
  = 統一性は弱く、主要な地域の遊牧部族長が連合した遊牧国家。
  → 国内統一のため、d シーア派 の▲ 十二イマーム派 を国教とする。
    国王はイラン古来のe シャー を称し、イラン人の民族意識を高める。
  → ▲ キジルバシ (トルコ系遊牧民の部隊)を軍事力として支配域をひろげる。
・スンナ派のオスマン帝国と抗争。
 1514年 ▲ チャルディランの戦い でオスマン帝国と戦い、敗れる。
 アッバース1世(大帝)   16世紀末~17世紀初め 全盛期。
・a オスマン帝国 からアゼルバイジャンとイラクの一部(バグダード)を奪う。
 1622年b ホルムズ島 のポルトガル人を追い払う。
・新首都 c イスファハーン の建設 = 「d 世界の半分 」と言われて繁栄。
     「イマーム(王)の広場」 「イマーム(王)のモスク」 などペルシア風建築。
 → 織物業( ペルシア絨毯 )の隆盛  → ポルトガルなどヨーロッパ諸国との交易。
17世紀中期以降、次第に衰退。1722年にアフガン人によって滅ぼされる。
 


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