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司馬遷

前2世紀、中国の前漢の武帝時代の歴史家で、『史記』を著述した人。『史記』は中国の支所の基準となった。

 司馬遷は代々、歴史を編纂する家系(史官)に生まれ、父の後を継いで太史公の職に就き、歴史の編纂に従った。前99年、友人の李陵が匈奴ととの戦いで捕虜となったことを、武帝の前で弁護したために、その怒りをかい、宮刑に処せられた。出獄後も執筆に専念し、『史記』一三〇巻を完成させた。
(引用)『史記』の著者、司馬遷の生没年は判明しない。普通には漢の景帝の中元五年(前145年)に生まれ、次の武帝の時代を生き、郎中、太史令等の職につき、親友である将軍李陵の匈奴への投降事件に連座して宮刑に処せられ、その後、中書令に任ぜられ、武帝の死と前後して、その後元二年(前87年)頃に死んだと思われる。
 その著、『史記』は父司馬談がすでに集史の志があったのを嗣ぎ、苦心して大成したものである。本紀十二巻、表十巻、書八巻、世家三十巻、列伝七十巻、合わせて百三十巻より成り、総字数五十二万六千五百に上るが、その中、十巻は本文を欠いている。列伝最後の巻は太史公自序で、同時にこの書物の総目録になっている。<宮崎市定『史記を語る』岩波文庫 1996 p.20>

Episode 中島敦の名作『李陵』

 司馬遷が宮刑に書せられるきっかけとなった、李陵を主人公とした小説が中島敦の『李陵』である。そのなかでも、司馬遷の苦悩がよく描かれている。中島敦(1909~1942)は戦前の横浜学園で国語の教師をしながら小説を発表し、わずか32歳で病死した。『李陵』の他、『山月記』や『名人伝』など、中国史を題材とした名作で知られている。
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ノートの参照
第2章3節 ク.漢代の社会と文化
書籍案内

武田泰淳『司馬遷』講談社文芸文庫

中島敦『李陵・山月記』新潮文庫