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高車

5世紀頃活動したトルコ系遊牧民。

 5世紀頃に活動したトルコ系遊牧民で丁零の後裔と考えられ、中国史書には「高車丁零」として出てくる。おそらく「高車という丁零(テュルク)」の意味で、高大な車両を用いたことから高車といわれたらしい。モンゴル高原を支配した柔然に従っていたが、柔然が北魏に圧迫されるとその支配から脱し、西方に移動してタクラマカンのオアシス国家高昌の北方、天山山脈の北麓のジュンガル盆地に入り、485~6年に建国した。柔然とは対抗し、北魏とは通交した。トルコ系民族の西方への進出がここから始まったらしく、次の隋唐時代の中国史料ではトルコ民族はより広い範囲に広がり、「鉄勒」として現れてくる。6世紀になると同じトルコ系の突厥が有力となり、高車などのトルコ系(鉄勒)も併合される。 
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