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柔然

5~6世紀にモンゴル高原で活動した遊牧民族。王は可汗(カガン)を称す。北魏の北方にあって抗争したが、449年に太武帝に討たれてから衰え、552年、突厥に滅ぼされる。

 5世紀以降、モンゴル高原で活動した遊牧民族で、モンゴル系と言われる。その王は可汗と称する。この可汗という称号は、次の突厥に引き継がれ、さらにモンゴル帝国のハン(汗)の源流となる。その意味で柔然は遊牧民の歴史で重要な位置にある。

モンゴル高原を支配

 モンゴル高原にいた騎馬遊牧民鮮卑が、4世紀ごろに南下して中国北部、華北に入り、北魏を建国した後、モンゴル高原で有力となったのが柔然であった。柔然はモンゴル高原から東トルキスタンに進出し、タリム盆地の東西交易路を抑えてさらに有力となっていった。
 しかし、5世紀には、鮮卑の拓跋氏が建国した北魏が華北を統一して有力となると、449年、太武帝と戦って大敗し、それを機に急速に衰えていった。

突厥に滅ぼされる

 6世紀には、それまで柔然に従属していたトルコ系の遊牧騎馬民族である突厥が急速に台頭し、552年に滅ぼされた。このとき、柔然の可汗と民は西魏に逃れたが、西魏の実力者宇文泰は彼らを捕らえて突厥に引き渡したため、可汗以下3000名が突厥によって殺されたという。
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