印刷 | 通常画面に戻る |

神秘主義教団

神秘主義の修行を行う信者の教団。次第に大きな勢力を持ち、布教に努めた。

イスラーム教の世界で12世紀頃から神秘主義(スーフィズム)の修行者であるスーフィーの指導者を聖者として崇拝する教団(ターリカ)が各地に生まれていった。この神秘主義教団は、神の愛を説き、踊りなどを通じて神との一体化を体感するとして都市の庶民や農村に広がり、イスラーム教の布教につながった。イスラーム教がインド、東南アジア、アフリカに広がったのは、イスラーム商人の活動とこの神秘主義教団の活動に負うところが多い。スーフィズムの修行者をデルウィーシュといい、イランやトルコでは托鉢を意味する。

主な神秘主義教団

 セルジューク朝の時代に小アジアで活躍したガザーリーが、最初のスーフィズムの理論をうちたて、その後、各地に神秘主義教団(スーフィー教団)が生まれた。その中で最も早い神秘主義教団は、12世紀にバグダードで生まれたカーディリー教団である。13世紀には小アジア(アナトリア)にメヴレヴィー教団が生まれ、彼らはオスマン帝国の時代には旋回する舞踏によって忘我の境地に入り、神との一体感を目指す教団として民衆に指示され、大きな教団となった。これら以外には、同じく小アジアに生まれ、オスマン帝国時代に京大のとなったベクタシュ教団などがある。
 イランでは16世紀初め、神秘主義教団の中からサファヴィー教団が有力となり、彼らはイランの政治的実権を握り、サファヴィー朝を建国している。

踊る教団

 イスラーム教では「神は偉大なり(アッラー・アクバル)」、「神に栄光あれ」などの神を讃える言葉を一斉に唱えて讃美することを「ジクル」といっているが、とくに神秘主義ではスーフィーたちの修行の一つとして、一心に神を讃え、「コーラン」の章句を唱えることを「サマー」が行われるようになった。サマーによって忘我の境地に入ることは、本来のイスラーム神学にはないことなのでスンナ派ウラマーたちはそれを禁止しようとしたが、スーフィーたちは会合の祭に音楽にあわせて歌い、舞踏しながらエクスタシー(忘我の境地)に入り、神と一体化することを求め続けた。神秘主義教団(タリーカ)が形成されると、逸脱的で過度なサマーは抑えられ、特定の曜日に集団で規則的に舞踏を行うよう行事(ハドラという)に変化していった。<平凡社『イスラム事典』1982 「ジクル」「サマー」の項を参照>
 そのような「踊る教団」として最も良く知られているのがアナトリアのコンヤを拠点としたメヴレヴィー教団である。ヨーロッパでは彼らは「踊るデルウィーシュ」Dancing Derwishes と呼ばれた。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
4章4節 イ.イスラームの社会と文明