印刷 | 通常画面に戻る |

ワット=タイラーの乱

14世紀末のイギリスで起こった農民の一揆。

 イギリスプランタジネット朝国王(リチャード2世)が百年戦争中のフランス及びスコットランドとの戦争の戦費に充てるため、12歳以上のすべての人に人頭税を課税することを決め、厳しく徴税を行うようになた。それに対して、富裕な農民から貧農にいたるまで、また都市の住民にも不満が強まった。そのような中で、ジョン=ボールが作ったという「アダムが耕しイブが紡いでいた時、だれが領主だったか」という歌詞の歌が流行し、1381年6月、まず農民一揆として反乱が始まった。

農民一揆始まる

 イングランドの南東部のエシックスやケント州に始まった一揆は、たちまちほぼ全土に拡がり、指導者ワット=タイラーのもと反乱軍を組織し、ロンドンに迫った。ロンドンの市民は反乱軍を受け入れ、ロンドンは反乱軍の手におち、大司教や大蔵大臣は殺害され、大商人の屋敷は焼き討ちされた。国王リチャード2世はロンドン塔に避難したが、そこも反乱軍に包囲され、やむなくタイラーと会談し、ワット=タイラーが要求した農奴制の即時撤廃、小作料の軽減、一揆参加者の大赦などを認めた。

一揆の敗北とその後

 この勝利で大半の反乱軍がロンドンから撤退したが、翌日再び王と面談した際、タイラーは国王の臣下にだまし討ちにされてしまった。それを機に国王軍は次々と反乱軍を制圧し、一揆は鎮圧されて終わった。この反乱後、国王と領主階級の支配は強化されたが、農奴の解放の流れは進み、各地で自由を獲得した農民は次第に自立してヨーマン(独立自営農民)となっていった。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第6章3節 オ.封建社会の衰退