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プランタジネット朝

1154~1399世紀のイギリス(イングランド)の王朝。フランスのアンジュー伯アンリがイングランド王に即位して始まった。13世紀にマグナカルタの承認、モンフォール議会、模範議会の開催があり、議会制度の萌芽が見られた。14世紀には英仏戦争に突入し、フランス内の領土拡張を目指したが、議会・貴族との対立を深め、ランカスター朝に替わった。

 1154年に始まるイギリス(厳密にはイングランド王国)の王朝。ノルマン朝のヘンリ1世が1135年に死去すると、男子の後継者がいなかったので、王位継承をめぐり対立が起こり、18年にわたる内乱となった。ヘンリ1世は娘マティルダを後継者に指名していたが、ウィリアム1世の孫に当たるスティーヴンも王位継承権を主張したためであった。最終的には、マティルダとその夫フランスのアンジュー伯ジェフロワの間に生まれたアンリ(フランス名)が、ヘンリ2世(イギリス名)として1154年に即位し、プランタジネット朝を始めた。アンジュー家の家紋が「えにしだ」でそのラテン名が「プランタ=ゲニスタ」というので、後の人がこの王朝を「プランタジネット朝」と呼んだ。ヘンリ2世以来、イギリス本国に加え、フランス国内に広大な所領をもち、フランス国王と争いを続けた。 → イギリス(1) イギリス(2)

プランタジネット朝の国王

 主要なプランタジネット朝の国王は以下の通り。( )内は在位年代。
  • ヘンリ2世(1154~1189) 父からのアンジューに加え、母からイングランド・ノルマンディーを継承し、さらに妻エリアノールの相続したアキテーヌを加え、英仏にわたる広大な領土「アンジュー帝国」を支配した。本拠はフランスにおき、宮廷ではノルマン貴族がフランス語を用いていた。ヘンリ2世はスコットランド、ウェールズに出兵して勢力を拡大すると共に、教会の統制を強めようとカンタベリー大司教トマス=ベケットと対立して殺害した。ヘンリ2世の子どもたちは英仏にまたがる領地をめぐって争いを続けたが、1189年にヘンリ2世が死んで第2代の王となったのはリチャードであった。
  • リチャード1世(1189~1199) 第3回十字軍にフランス王フィリップ2世rとともに参加し、アイユーブ朝のサラディンと渡り合い、その英雄的な戦いから獅子心王といわれた。しかし聖地奪回は出来ず、休戦協定を結んで帰国の途に着いたが、途中地中海で遭難して上陸したところでオーストリア公レオポルドに捕らえられ、さらに神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世に身柄を預けられ、多額の身代金で釈放された。その後フランス内の領土をめぐってフィリップ2世と戦い1199年に戦死した。リチャードは武勇に優れた人物であったが、イギリス国王としては十字軍の遠征費や身代金などを税として国民に課したので評判は悪い。
  • ジョン王(1199~1216) リチャードの弟。彼はカンタベリー大司教の任命問題でローマ教皇インノケンティウス3世に破門され、さらにフランス王フィリップ2世と争ってフランス内の領土の多くを失い、貴族の離反を招いた。1215年、貴族たちはジョンに迫って国王の課税には貴族の同意が必要であることなどを定めた大憲章(マグナ=カルタ)を認めさせた。
  • ヘンリ3世(1216~1272) ジョンの子で、再び大陸に出兵しようとして、マグナ=カルタを無視し課税したため、貴族の反発を受ける。貴族を率いたシモン=ド=モンフォールは武力でヘンリ3世を屈服させて1265年に初めて議会を開催し、国王の課税には議会の同意が必要であるという原則を作った。このモンフォール議会は近代の国民が選挙によって議員を選ぶ議会とは異なり、貴族・僧侶の代表と州の騎士(農村の有力な土地所有者)の代表という身分ごとの「団体」の代表者が、国王の諮問に答えるもので、「模範議会」の前身となった。
  • エドワード1世(1272~1307) ヘンリ3世の子であるが、父・祖父と違って議会を無視するのではなく、それを利用しようという姿勢に転じた。1282年にはウェールズを征服し、さらにスコットランド遠征の軍事費を調達するための課税を諮問するために議会を招集した。これが1295年の模範議会であり、貴族・司教と州ごと2名の騎士代表と都市ごと2名の代表から構成される身分制議会であった。またこのころから、宮廷では英語が用いられるようになり、フランスから分離した独自の文化が形成されていった。 → イギリス議会制度
  • エドワード3世(1327~1377) 母がフランスのフィリップ4世の娘だったので、フランス王位継承権を主張して1339年に百年戦争を引き起こした。皇太子エドワード黒太子の活躍もあって始めは優勢に戦いを進めたが、戦争が長期化する中で次第に人望を無くし、1347~48年の黒死病の流行もあって、次第に弱体化した。
  • リチャード2世(1377~1399) 1381年、農民反乱のワット=タイラーの乱が起こったときの国王。反乱軍にロンドンを包囲され、王宮から脱出した。首謀者のタイラーが謀殺されたのを機に一気に農民軍を鎮圧した。始めは青年国王として人望があったが、次第に専制的になり、議会・貴族と対立、議会を招集しなくなってしまった。しかも大貴族の領地を没収するなど、強硬な姿勢が目立ったため、貴族たちによって捕らえられ、1399年に廃位されてしまった。これでプランタジネット朝は終わり、次には王家の傍流にあたるランカスター家のヘンリ4世が即位し、ランカスター朝が始まる。
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ノートの参照
5章3節 キ.イギリスとフランス
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