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カタルーニャの反乱

1640~52年、スペインのカタルーニャ地方で起こった農民反乱。「17世紀の危機」の一つの表れでもある。

 カタルーニャはカタロニアとも表記する。地中海に面したフランスと国境を接する地域で、中心都市はバルセロナ。現在はスペインの一部だが、歴史的・文化的に独自の歩みを持っており、固有の言語カタルーニャ語を持つ。もとはフランク王国の辺境伯からおこり、ピレネー山脈の南北にカタルーニャ公国を形成し、1137年、アラゴンと連立王国となる。15世紀にカスティーリャ主導のスペイン王国が成立するとその一部を構成していたが、17世紀にカスティーリャのスペイン政府が宰相オリバレスの三十年戦争の軍費の確保のため、カタルーニャなどにも課税などの統制を強めるとそれに反発し、1640年から52年まで、カタルーニャの農民反乱が勃発(収穫用の大鎌を持って戦ったので「収穫人戦争」という)、スペイン王国を動揺をもたらした。反乱は鎮圧され、同時に介入したフランスによってピレネー以北の地を奪われた。<田澤耕『物語カタルーニャの歴史』 2000 中公新書 参照>
 このスペインでの農民反乱は、「17世紀の危機」の一つのあらわれと見ることができる。また、16世紀に「太陽の沈まぬ国」にもかかわらず、17世紀に入って顕著になったスペインの衰退の一つのあらわれである。反乱の起こった1640年には、スペインからポルトガルが独立している。

Episode 鎌を手に立ち上がった収穫人戦争

 1640年から12年続いたカタルーニャの反乱は、収穫人戦争ともいわれている。反乱の直接のきっかけは、カタルーニャの農村部に駐屯していたカステーリャ軍の無法な振る舞いだった。彼らはそこで占領地の住民に対するような乱暴狼藉をはたらいたのである。それを取り締まる立場のカタルーニャ副王サンタ・クロマは毎日飲んだくれていて、農民から重税を取るしか能がなった。ついに堪忍袋の緒が切れた農民たちは、収穫用の鎌を手にバルセロナに押し寄せた。騒動は中央に不満を抱く都市の住民を巻き込み、一大反乱へと発展、サンタ・クロマはバルセロナ港近くで殴り殺されてしまった。しかしそれで利益を得たのはフランスだった。ルイ13世はカタルーニャの要請によって介入し、フランスに有利に収拾した。ピレネー以北のカタルーニャ地方をフランス領にし、これによってピレネー山脈は、フランスとの国境とされてしまったのだ。これはカタルーニャにとって痛恨の出来事だった。<田澤耕『物語カタルーニャの歴史』 2000 中公新書 p.215-219>
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8章4節 カ.17世紀の危機と三十年戦争
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田澤耕『物語カタルーニャの歴史』
2000 中公新書