印刷 | 通常画面に戻る |

ラサール

ドイツの社会主義者。1860年代から労働者の権利拡大で運動する。マルクス主義とは一線を画した。

 ラサール(またはラッサール Ferdinand Lassalle 1825-1864 )はブレスラウでユダヤ系商人の子として生まれ、ベルリン大学でヘーゲル哲学を学んだ。パリに渡り、プルードンやルイ=ブランの影響を受けて社会主義運動に加わるようになった。1848年の三月革命ではマルクスらに従って戦ったが捕らえられ、獄中生活を送る。1863年に「全ドイツ労働者協会」を創設して普通選挙による労働者の国政参加を目指して活動した。当時は1840年代からのドイツの産業革命の進行に伴い、労働運動が組織されるようになり、ラサールはその組織者となった。その頃登場したプロイセン宰相ビスマルクは、一時、議会内のブルジョワ政党である進歩党と対立したため、ラサールを利用として会談したが、その提携はうまく行かなかった。その最後は、恋愛事件に巻き込まれて決闘で死んだ。

ラサールの主張

 ラサールは社会主義の主流であったマルクスとは別個に、独自の社会主義思想を展開し、労働者権力の樹立を目指した。マルクス主義との違いは、革命という手段を執らず、労働者の参政権を拡大してあくまで議会政治の枠の中で改革を図ろうとしたこと、また国家の援助による生産組合の創設など、国家の役割を重視したことである。

ラサール派の潮流

 彼の死後、その影響を受けたラサール派は労働運動に一定の勢力を維持し、ビスマルクの弾圧が強まる中、1875年、マルクス主義を継承したベーベルらの社会民主労働党(アイゼナッハ派)とゴータにおいて合同し、ドイツ社会民主労働者党を結成した。ラサールの影響はその後もラサール派として残り、後のドイツ社会民主党の一つの潮流となった。  

用語リストへ 12章2節

 ◀Prev  Next▶ 


印 刷
印刷画面へ