第2次ロシア革命が進展する中で、
共産党の独裁による「
戦時共産主義」の行き過ぎは、国民の不満を強めていた。1921年3月、かつて革命の原動力の一つとなった
クロンシュタット軍港の水兵(水兵のほとんどは農民から徴兵されていた)が暴動を起こし、選挙や言論・出版の自由を要求した。これにたいして共産党政権はこの暴動を
社会革命党左派(左翼エスエル)やアナーキストが煽動した反革命運動であるとして
トロツキーを派遣して弾圧した。レーニンは民主化を求める運動を弾圧する一方、これを機に戦時共産主義の方向を改め、
新経済政策(NEP)の採用に転換した。