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買弁/買辨

中国の租界で外国資本と結んで成長した商人。

 ばいべん。1842年、南京条約で上海での外国貿易が始まると、外国人居住区である租界において、外国商社に雇われて商品の買い付けや売り込みなどに従事し、手数料を得る中国人商人が現れた。このような、租界で成長した外国資本の手先となった商人を買弁と言った。彼らは買弁資本とも言われ、民族資本家に成長していくものも現れたが、中国の民族運動が激しくなってくると、彼らは海外資本と結びついて民族の利益を害するものと見られるようになり、買弁ということばは非難をこめて使われるようになる。特に有名な買弁資本が、浙江財閥といわれる、蒋・宋・孔・陳の四大家族であった。

洋務運動と買弁

 1870年に李鴻章が直隷総督、北洋大臣となって発言力を増すと洋務運動の内容が軍事工場から近代的な産業全般に広がった。1872年に李鴻章は上海に中国最初の汽船会社である輪船招商局を設立、また1878年には紡績工場である上海機器織布局を設け、外国資本に対抗しようとした。これらの洋務企業は多くの場合「官督商辨」と呼ばれる半官半民の経営方式を採用したが、具体的な経営は有力商人に任された。この有力商人を「買辨」と呼ばれたが、買辨とはポルトガル語のコンプラドールの訳語で、外国商社の代わりに中国市場と仲介取引を行い、開港場を中心に大きな利益をあげていた。アヘン戦争後の上海にいち早く進出したイギリス系商社のデント商会(中国名は宝順洋行)で買辨をつとめた徐潤と鄭観応はその代表で、徐潤は輪船招商局、鄭観応は上海機器織布局の創設と経営に携わった。しかしこれらの洋務企業は銀行と鉄道の未発達という情況の中で不動産投機などに走ったため経営に失敗し、二人とも経営者の地位を追われた。<菊池秀明『ラストエンペラーと近代中国』中国の歴史10 2005 講談社 p.63-64>

出題 1999年 東大第3問

 アヘン戦争後に結ばれた南京条約で、清朝はイギリス人が開港場に居留することを認めた。その後、こうした外国人の居留地は清朝の行政権が及ばない特別な地域として拡大し、対外関係の窓口として特殊な発展を遂げた。(1)このような地域は何と呼ばれるか。(2)又、こうした地域では外国商社と特に関係の深い中国人商人が成長した。彼らは何と呼ばれるか。それぞれ漢字二字で名称を記せ。

解答   → 

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第15章3節 ウ.国民党と共産党