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関税自主権の回復(中国)

共産党の排除、北伐の完成、南京国民政府による中国統一によって、不平等条約の関税自主権回復が進んだ。

 南京条約その他の不平等条約の締結によって半植民地状態に置かれた中国では条約改正が悲願であり、ナショナリズムの勃興に伴い、その要求はさらに強まっていた。ワシントン会議後に、中国は列強との間でまず関税自主権の回復の交渉を始めたが、集団交渉方式であったことと軍閥政権が安定しなかったためにほとんど進捗しなかった。
 また孫文の率いる中国国民党が、第1次国共合作によって共産党と事実上合同したことは、アメリカやイギリスを警戒させ、条約交渉は進まなかったが、蔣介石北伐を進める過程で、1927年に上海クーデターによって中国共産党を排除したことで、アメリカ・イギリスの態度も変化してきた。
 1928年、蔣介石の国民革命軍が北伐を完成させ、南京国民政府の中国統一が実現したことを受け、まずアメリカが中国の関税自主権を承認、同年末までにイギリスその他の諸国とも関税交渉を終えた。日本だけが済南事件の解決が長引き、やっと1930年5月に日華関税協定が結ばれ、これによって中国は開国以来苦しめられていた関税自主権を回復することができた。
 残る不平等条約の改正点である治外法権の撤廃については、満州事変の勃発と日中戦争によって中断され、太平洋戦争開戦に伴って欧米諸国が日本との対抗上、中国の条約改正要求に応じたこと、日本は汪兆銘政権との間で条約改正に応じたことによって、1943年に不平等条約の撤廃が実現する。<横山宏章『中華民国』中公新書1997 p.157-161による>
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ノートの参照
第15章3節 ウ.国民党と共産党