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タキン党

1930年代にビルマで結成された、反英組織。「我らビルマ人協会」のこと。アウンサンなどが指導し、独立運動の母体となった。

 1930年、ビルマで結成された、反英組織「我らビルマ人(ドバマ)協会」のこと。タキン thakin とは、ビルマ語で「ビルマの主人(われらビルマ人)」を意味し、党員すべてが自分の名前にタキンを冠して呼び合ったので、タキン党と呼ばれるようになった。

「我らビルマ人協会」

 1930年にラングーン大学助手のバ・タウンなどが結成したビルマ協会(タキン党)がビルマ独立運動の中核を担った。タキンはビルマ語で「主人」を意味し、イギリス植民地時代にはイギリス人はビルマ人に対して自分たちをタキンと呼ぶことを強制した。それに反発した彼らは、ビルマの主人はイギリス人ではなく、我々ビルマ人であるとととなえ、党員同士が名前の前にタキンをつけて呼び合ったので、タキン党と言われた。また「我ら(の)ビルマ(人)協会」と言うのは、イギリス植民地支配に協力する「彼らのビルマ人」に対して、独立を願うのが「我らのビルマ人」であるという意味が込められていた。<岩崎育夫『入門東南アジア近現代史』2017 講談社現代新書 p.115-116>

ビルマ独立運動

 1930年5月、ラングーンで発生したインド人とビルマ人の衝突事件に触発された青年たちが結成、共産主義者がラングーン大学の学生運動指導者だったアウンサンらが加わり、反イギリスの民族主義で結びついた青年知識人を中心としたビルマ独立運動に発展していった。1939年にはバーモー率いる貧民党と合体してイギリス当局にビルマの独立承認を迫ったが、1940年、イギリス当局によって幹部党員が逮捕され、組織は壊滅的な打撃を受けた。
 同年6月、ビルマを脱出して日本に亡命したタキン=アウンサンは、30名の青年タキンを日本に送ることに成功し、彼らは日本で軍事訓練を受けてビルマ独立軍の母体となった。
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