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制度的革命党

第二次世界大戦後のメキシコで、1946年から2000年まで長期政権を維持した政党。1911年のメキシコ革命の成果である議会制民主主義と、カルデナス政権の社会改革を定着させることを掲げた。

 現代のメキシコの政党で、制度改革党とも言われるが、Partido Revolucionario Institucinal なので「制度的革命党」というのが正しい。略称PRI。「革命党」と名乗っているが左派社会主義政党ではなく、メキシコ革命を継承し、メキシコ革命の成果を制度的に定着させることを掲げた、一種の大政翼賛的な政党である。

「革命の継承」の意味

 メキシコ革命とは、教科書的には1910年のマデロの蜂起により、1911年にディアス独裁政権が倒れ、1917年に憲法が制定されて一応の民主主義的立憲体制ができあがったところまでを指すが、メキシコで「革命」という場合はその後の1920年代の変化と、1934年のカルデナス政権での社会改革との40年代の変革をも含めている。その中でまず1929年にメキシコ最初の公党である国民革命党が組織され、カルデナス政権下で1938年にメキシコ革命党に改組され、第二次世界大戦後の46年に制度的革命党と改称された。2000年の選挙で敗れ「制度的革命党の71年に及ぶ長期政権が終わった」と言われるのは、その前身を含めて1929年を起点としているからである。

制度的革命党の性格

 メキシコでは独立以来、カウディーリョと言われる軍事力をもつ地域ボスが政敵を非合法な手段で殺害するという傾向が続いていた。メキシコ革命でも1920年から29年にかけては多数決原理よりも暴力によって権力が交替し、政権が安定しなかった。そこでこのような暴力によってではなく、多数決原理などの民主的な手段が機能するようにするために政党をつくり、国民の直接選挙の前に候補者はまず公党であるこの党の公認を受け、党大会において自由かつ公然と議論して候補者を絞り、党の唯一の候補者とし、それによって候補者の乱立、対立を事前に防止するという工夫をした。さらにカルデナス大統領の時に、労働者・農民・一般・軍人の四つの社会勢力をそれぞれの部会に統合した政党組織として国民の声を集約するシステムを作った。このような政治形態はポピュリズムと言われるが、軍部独裁政権の出現を防止するラテンアメリカ的工作と言うことが出来る。ただし一党独裁体制ではなく野党の存在も認められたので、大統領候補になり損ねた政治家が脱党して別な政党を作り立候補することもあったが、1929~1970年の大統領選挙は制度的革命党の候補者がスンナリ大統領となるという安定が続いた。大統領選挙から地方選挙までこのシステムが機能し、長期安定政権が可能となった。

71年ぶりの政権交代

 ところが、1970年代から政党組織の中にやはり腐敗、マンネリという問題が生じ、転換の必要が言われはじめるようになった。1968年(メキシコ=オリンピックの年)の学生の反乱(トラテルコロの夜)あたりから揺らぎはじめ、国民行動党、民主革命党、共産党などの野党も進出した。メキシコ経済は石油資源に恵まれ、成長を続けていたが、二度の石油危機の反動で経済も揺らぎはじめ、1994年にはメキシコ経済危機サパティスタ民族解放戦線の武装蜂起という危機に対し、硬直化していた制度革命党はそのような事態に対応できず、2000年の大統領選挙で市民革命党候補が当選し、71年に及んだ政権が終わりを告げ政権交代が実現した。日本の自由民主党長期政権(55年体制)は1955年から1993年の細川政権までで38年でしたが上には上があるものです。)
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