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2013年度 詳説世界史 準拠ノート

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第1章 オリエントと地中海世界

第3節 ローマ世界

用語リストへ ア.ローマ共和政
■ポイント 都市国家ローマでは平民が身分闘争を経て、貴族と同等の権利を獲得した。
 都市国家ローマ  前1000年頃 古代イタリア人が南下し、イタリア半島に定住。農耕牧畜を営む。
・その一派のa ラテン人 がc ティベル川 のほとりにc ローマ を建設。

補足: ローマの建国神話

ロムルスとレムス
帝国初期の国民的詩人と言われたヴェルギリウスの『アエネイス』には、ギリシアのトロヤの勇将であったアエネイスが、トロヤが落城したため各地を漂浪してイタリアにたどり着き、ティベル川のほとりラティウムに町を建設したことが物語られている。その子孫のロムルスとレムスの双子の兄弟は、王位をめぐる内紛から籠に入れられて川に流されてしまった。イチジクの木に引っかかったところを雌オオカミに助けられ、二人はオオカミに育てられる。二人は協力して仇敵を倒し、鳥占いでロムルスが初代の王となった。しかし兄弟は仲違いし、ロムルスがレムスを殺し絶大な権力を獲得し、新しい都はその名にちなんでローマと言われるようになった。その紀元前753年4月21日はローマ建国の日とされ、キリスト紀元が用いられるまでローマの紀元元年とされていた。現在もローマ市はオオカミとロムルス・レムスの像を市のシンボルとしている。
・先住民で半島中西部トスカナ地方にいたd エトルリア人 の王の支配を受ける。
 = 民族系統は不明であるが、ギリシア文化の影響を受け、前7~6世紀に鉄器を使用していた。

補足: エトルリア文化

エトルリア人は前7~前6世紀ごろ最盛期となり、北イタリアで多彩な文化を発展させている。その特色はギリシア文化の影響を受けたながら、陶器や巨大な墳墓などを残したことである。前534~509年ごろ、タルクィヌスが王としてローマを支配していた。この間、ラテン人も彼らの影響を受けながら、生産力を高め、その社会では貴族と平民の階層分化が進んだ。
 貴族共和政  前6世紀末 a ラテン人 がエトルリア人の王を追放する。
・初期ローマの社会
 貴族 b パトリキ  騎兵として貴族共和政の中心となる。
 平民 c プレブス  中小農民で、d 重装歩兵 として都市防衛に当たる。
・B 貴族共和政 のしくみ
  最高官職:e 執政官(コンスル)  任期一年で2名。貴族から選出される。
  最重要機関:f 元老院   貴族から選ばれた終身議員が議員となる。
  他に、市民が参加するg 民会 (兵士はh 兵員会 )を構成した。
 身分闘争  貴族の政権独占に不満を持つ平民が、平等な権利を求める。
・前5世紀前半 a 護民官  平民から選ばれ、元老院とコンスルの決定に対して拒否権を行使できる。
        b 平民会  民会の一つで、平民だけで構成。決定には元老院の承認が必要。
・前5世紀半ば c 十二表法   慣習法を初めて成文化し、平民にも公開。
  → 平民も法律の適用を受け、市民法によって守られた権利=市民権を持つ市民となる。
 *前445年 カヌレイウス法 貴族と平民の通婚が認められる。

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・前367年 d リキニウス・セクステウス法 :護民官であった二人が提案し制定される。
 内容 = e コンスルのうち一人は平民から選出すること。 
      *公有地の独占を一人500ユゲラに制限した。
・背景 f 平民が重装歩兵として、並行して進められたイタリア半島統一戦争で重要な働きをした。 
 共和政の完成 
・前287年 a ホルテンシウス法 
 内容 b 元老院の承認が無くとも平民会の決議を国法となる。 
 意義 c 貴族と平民の政治上の権利が同等となり、ローマ共和政が完成した。 
・ローマ共和政の特徴(ギリシアとの相違点)
 d* 貴族の寡頭制  一部の富裕な平民が出現し、従来の貴族に加わって新しい支配階級を成立させた。
  → e* 新貴族(ノビレス) といわれ、支配権を握るようになる。
 f 元老院の強化  新貴族も加わった元老院議員が、ローマの最高議決機関とされるようになる。
 g 独裁官(ディクタトル)  非常時の最高官職。元老院がコンスルの一名を任命。任期半年。

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用語リストへ イ.地中海征服とその影響
■ポイント ローマが地中海世界全域を支配する世界帝国に発展した結果、社会はどのように変化したか。
 半島統一戦争  前4~前3世紀 身分闘争の時期に、中小農民がa 重装歩兵 として従軍。
・前340~前290年 *サムニウム戦争  イタリア半島の中部から東南部を征服。
 前272年 タレントゥム(ギリシア人の植民市)を征服。イタリア半島統一の完成。
・半島全領土にb アッピア街道 などの軍道を建設。「すべての道はローマに通ず」
 分割統治  ローマによるイタリア半島統治の特徴であった。
・a 征服した都市と個別に同盟を結び、権利・義務に差をつけ、団結できないようにした。 
 参考 b* 植民市  市民にはローマ市民権を与え、ローマと対等な自治を認めた。
    c* 自治市  上層市民には市民権を与え、自治権の一部を認めた。
    d* 同盟市  市民権・自治権いずれも認めず、従属させた。

補足:

 はじめはローマに居住するもののみが市民とされていたが、その支配圏を拡大させるにともない、征服した都市の市民にも市民権を与えた。ただし、市民権の範囲の違いによって上記の植民市、自治市、同盟市の違いを設けた。アテネの市民権法ではアテネ居住者以外に市民権を認めなかったのとは異なる。市民権が認められればローマ法の保護を受けることができたが、ローマ居住以外の市民も形の上ではローマの35の区(トリブス)に属するものとされ、直接民主政の原則であるからローマまで行かなければ意見を反映させる機会はなかった。また同盟市の市民には市民権を与えなかったので、紀元前1世紀になると、彼らの中にも市民権を要求する声が強まって同盟市戦争が起こり、結果としてイタリア半島内の全自由民に拡大され、さらに3世紀の初めのカラカラ帝の時に属州も含めた全帝国内の自由民に認められることとなる(万民法)。
 ポエニ戦争  ローマが西地中海進出をはたし、大国化をもたらした重要な戦争。
 a カルタゴ  =b フェニキア人 の植民市。地中海の商業権を抑え中継貿易で繁栄。
・第1次 前264年 c シチリア島 をめぐる対立。ローマが勝利して獲得、最初のd 属州 とする。
・第2次 前216年 カルタゴの将軍 e ハンニバル がf 力ンネーの戦い で大勝。

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     前202年 ローマの将軍g スキピオ がh ザマの戦い でカルタゴ軍を破る。
・第3次 前146年 カルタゴ滅亡。
・並行して前214~前148年 i マケドニア戦争 に勝利し、ギリシアの諸ポリスを支配する。
・意義 j 都市国家ローマが、地中海全域を支配する世界帝国に転換した。 

補足:地中海支配の影響

 都市国家から始まったローマが「帝国化」することにともない地中海各地の富がローマに集中し、経済も発展して未曾有の繁栄期を迎えたが、同時に征服戦争の長期化、属州からの奴隷・穀物の流入は中小農民を没落させ、大土地所有制を発展させて共和政の基盤がくずれることとなった。文化的にはギリシアを征服したことによってヘレニズム文化がローマに流入し、ギリシア建築、ギリシア彫刻、ギリシア文学、哲学などの影響のもとでローマ文化が形成されることとなる。
D ローマ社会の変質
・a 中小農民の没落  征服戦争の長期化により農地が荒廃し、中小農民は没落して無産市民となった。
・b 属州の増加  安価な穀物の流入は無産市民の食料となったが、中小農民の没落の一因ともなった。
・c 騎士階級(エクイテス)の台頭  属州のd 徴税請負人 となった騎士階級が富を蓄える。
  (ここでいう騎士とは軍事的意味を失い、元老院議員に次ぐ富裕な層を意味している。)
・d 大土地所有制(ラティフンディア) の拡大。有力な支配層である元老院議員と騎士階級は、没落
 した中小農民の土地を買い集め、征服地の公有地を奪うなどで私有地を獲得し、征服地から送られる
 e 奴隷 を労働力として、大規模な農業経営を行うようになった。
・f 奴隷制の発達  ギリシアに比べて、ローマでは典型的に発達した。
 共和政の動揺 
・2世紀後半からの変化 a 共和政を支えていた、市民の平等を原理とする社会が崩れる。 
 → 貧富の対立の激化 → 有力者が没落した市民を私兵として抱え、勢力を争う。
 b 閥族派 (オプティマテス) 元老院に拠点を置く、保守的な貴族層。
 c 平民派 (ポプラレス) 平民の支持を受けた騎士階級出身の有力者。

補足:二派の対立

 この二派の対立は閥族(門閥)派と平民(民衆)派という名称から、階級的な対立ととらえられがちではあるが、そうではない。いずれも支配者に属する人々の間の政治的な対立であり、経過としては、新興の騎士階級であったマリウスがユグルタ戦争で戦果を上げて台頭し、元老院を無視して権力を振るおうとしたことに対して元老院の権力を守ろうとした保守派が閥族派を結成、マリウスのグループがそれに対抗したので平民派と言われるようになった。その時の政治的な関係から派を変えている例も多い。スラは貧乏貴族でマリウスの副官であったが後に対立し、閥族派の中心人物となる。ポンペイウスはその部下だったので閥族派であるが、後半は平民派を味方にしようとしている。カエサルはマリウスと血縁関係があり平民派に属した。
・没落したd 無産市民(プロレタリア) は、e 「パンと見せ物」 の提供を有力者に要める。

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用語リストへ ウ.内乱の1世紀
■ポイント 「内乱の1世紀」を経てローマはどのようにして共和政から帝政に移行したのか。
 グラックス兄弟の改革 
・前133~122年 兄ティベリウス、弟ガイウスが相次いでa 護民官 となり、改革に当たる。
 内容 b 大土地所有者の土地を没収し、無産市民に分配しようとした。 
・ねらい c 共和政を支えていた中小農民の没落を防ぐ。 
  → 元老院・保守派の大土地所有者は強く反対。兄は暗殺され、弟は自殺して失敗に終わる。
  → 有力者が、多くの庇護民を支配下におき、権力を巡って暴力で争うようになる。

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 内乱の1世紀  前2世紀末~前1世紀末 有力者が互いに軍隊を私兵化して争う。
・平民派のa マリウス  *兵制改革を実施 無産市民を軍人として採用し職業軍人制とする。
  前91~88年 b 同盟市戦争 を鎮圧。同盟市がローマ市民権を求めて反乱。
  → *反乱鎮圧後、イタリア半島の全自由民にローマ市民権が認められる。
・閥族派のc スラ  前82年 独裁官となり、平民派を弾圧。
剣奴

剣闘士奴隷を描いたポンペイの落書き。土井正興著『新版スパルタクスの蜂起』 p.12

 奴隷の反乱  奴隷は、征服地の属州から供給されて増加した。
・前73年 a 剣奴(剣闘士奴隷) のb スパルタクス が反乱。
  → 奴隷反乱がイタリア全土に広がり、一時ローマを脅かす。
  前71年 クラッスス、ポンペイウスらのローマ軍に鎮圧される。
 第1回三頭政治 
・前60~前53年 有力な三人が元老院を無視して同盟する。
 a ポンペイウス :軍人。スパルタクスの反乱などを鎮圧。
 b クラッスス :富豪。パルティアに遠征し戦死。
 c カエサル :平民派の軍人。d ガリア遠征 に成功。
・c カエサル の権力掌握。
  → エジプトに逃れたポンペイウスを倒し、実権を握る。
 カエサルの独裁 
・前46年以降、a 独裁官 に連続して選ばれる。
  → 貧民や退役兵に土地を分配し人気を高める。
 前45年 *元老院からインペラトルの称号を贈られる。ついで終身独裁官となる。
 前44年 元老院派共和派のb ブルートゥス らに暗殺される。

補足: カエサル

カエサル
 カエサルはローマ史でもっとも知られた人物で、残した名言が多い。生まれは前100年(または前102年)、貧乏貴族であったが軍事的才能で台頭し、三頭政治の一角を占め、ガリア遠征で実績を積んだ。ローマに残ったポンペイウスが政権を独占しようとすると、ガリアから急遽戻り、「賽は投げられた」と称してルビコン川を渡り、ローマに迫った。ローマを逃れたポンペイウスはエジプトに向かうがそこで殺されてしまう。彼を追ってエジプトに入ったカエサルはプトレマイオス朝の内紛に巻き込まれたがクレオパトラと結び、結婚する。ローマに戻る途中、小アジアを平定、そのときの報告が有名な「来た、見た、勝った」だった。ローマに戻ったカエサルは終身独裁官に任命され、最終的には皇帝の地位を狙ったが、共和派のブルータスなどによって暗殺され、果たさなかった。最後の一言が、「ブルータスお前もか!」だったという。
 第2回 三頭政治 
・前43年 部将のa アントニウス とb レピドゥス 、養子のc オクタウィアヌス が同盟。
  → アントニウスはエジプトに逃れ、d プトレマイオス朝 の女王e クレオバトラ と結ぶ。
・前31年 f アクティウムの海戦  オクタウィアヌスがアントニウスとエジプトの連合軍を破る。
  → プトレマイオス朝が滅亡。エジプトがローマの属州となる。

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 意義 =h 「内乱の1世紀」を終わらせ、ローマの支配が地中海全域に及んだ。 

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用語リストへ エ.ローマ帝国
■ポイント ローマ帝国の前半の政治形態は、共和政の伝統が残る元首政であった。
 元首政 の成立 前1世紀末~3世紀末
・前27年 a オクタウィアヌス 、b 元老院  からc アウグストゥス の称号を与えられる。。
 = 尊厳者を意味する尊称。実質的には初代のdb ローマ皇帝 であり、e ローマ帝国 が成立。
・特色 共和政の制度のもとで、皇帝はf 市民の中の第一人者(プリンケプス) とされた。
    実際には最高司令官・執政官・護民官を兼任して全権力を握り、独裁政治を行った。
 = このようなローマ帝国の政治体制を、g 元首政(ブリンキパートゥス)  という。

補足:

 ローマ皇帝は形式的には元老院で選出されたが、実質的には、カエサル家ともいうべき、カエサルとその養子オクタウィアヌスの血筋の者が継承した。第2代のティベリウスは初代の養子であったが、近衛軍司令官セイアヌスの専横があり、一時政治が混乱した。次のガイウスも初代の孫娘を妃としていた。あだ名がカリグラ、悪政で知られる。次のクラウディウスはガイウスの伯父で、ブリタニア(現在のイギリス)を属州とした。その後妻アグリッパの連れ子がネロで、次の皇帝となり、悪政とキリスト教徒迫害で有名。つまりこの段階はローマ皇帝と言ってもその権威は安定していなかった。
 ローマ帝国が安定したのは1世紀末のウェスパシアヌス帝のころで、ユダヤ戦争で勝利してパレスチナを制圧した。この皇帝の時、ローマのコロシアムを建設が開始された。有名なヴェスヴィオス火山の噴火でポンペイが埋没したのは79年のことである。
 ローマの平和  紀元1~2世紀末
・ローマ帝国が安定し、その支配のもとで、地中海世界の平和と繁栄が続いた。 = a  ”パックス=ロマーナ” 
・b 五賢帝 の時代 96 ~180年 次の五人の皇帝の時代が最盛期とされる。
 c ネルウァ  →  d トラヤヌス :ローマの領土最大になる。 →  e ハドリアヌス 
 → f アントニヌス=ピウス  →  g マルクス=アウレリウス=アントニヌス (哲人皇帝)
・ローマ風の都市建設  ロンドンパリウィーンなど。 → 道路や水道が帝国全域に広がる。
 市民権拡大 
・a 属州 の拡大 ローマは属州の都市の上層市民に市民権を与えて、統治に協力させたが、
 重税に苦しむ下層市民も市民権を要求するようになった。
・212年 b カラカラ帝 、帝国領内の全自由民にローマ市民権を与える。
 意義 c 都市国家から始まったローマが、地中海世界全体を支配する世界帝国となった。 
・d 季節風貿易  ローマの支配下で、ギリシア人が、地中海交易圏とインド洋交易にも進出。
  → インド、東南アジア、中国と交易し、香辛料や絹がもたらされた。(後出)

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◎学習のポイント 作業 ローマ帝国の最大版図を確認しよう。

ローマ帝国の最大領土

 カンネーの戦い   b ザマの戦い   c アクティウムの戦い   d トイトブルクの戦い 

説明:

dの「トイトブルクの戦い」とは、紀元9年、アウグストゥス帝の時、ローマ軍がゲルマン人に敗れた戦い。現在のドイツ北西部に当たり、ローマ帝国はここまで進出したが、ここで初めてゲルマン人に敗れ、これ以上は進めなかった。ローマ軍はウァールスという将軍に率いられていたが、治世中唯一の敗北を喫したアウグストゥスは「ウァールスよ、世の軍団を返せ!」と嘆いたという。

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用語リストへ オ.3世紀の危機
■ポイント 3世紀にローマ帝国は財政難・経済の行き詰まり・異民族の侵入などで動揺が始まった。
 軍人皇帝時代  235~284年
・属州の軍団が、独自に皇帝を擁立。50年間に26人の皇帝が入れ替わる。
 背景 北方からの a ゲルマン人 、東方からのb ササン朝 などの侵入が激しくなる。
  → 財政難にもかかわらず兵士の給与を上げることを約束した軍人が推薦されて皇帝となる。
 260年 c ウァレリアヌス帝 、ササン朝のd シャープール1世 と戦い敗れる。
B ローマ社会の変化 3~4世紀
・内乱と異民族の侵入 → 軍事力の増強 → 帝国の財政圧迫 → a 都市への重税 
  → 富裕者は都市を離れ、田園で大所領経営を行う → 都市から流出した下層民を小作人とする。
・征服戦争の終わり → b 奴隷 の供給がとまる → 解放奴隷から小作人となるものが増える。
・従来の奴隷制によるc ラティフンディア に代わり、小作人=d コロヌス に土地を耕作させて
 地代を取るe 小作制(コロナトゥス制) が一般化する。

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用語リストへ カ.西ローマ帝国の滅亡
■ポイント 3世紀末、ローマ帝国の政治形態は元首政から皇帝による専制君主政へと移行した。
 ディオクレティアヌス帝  284年即位 軍人皇帝時代の混乱を収拾。
・a 四帝分治制(テトラルキア)  帝国を東西に分け、それぞれに正帝と副帝を置いて分治する。

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・兵員の増員、徴税法の改革などで、危機を回避。 → 共和政の形態が失われる。
 b 専制君主政 (ドミナトゥス)  皇帝を神として崇拝させ、専制支配する政治体制。
 コンスタンティヌス帝  306年即位 ~337年
・313年 a キリスト教を公認 (後出)
・b コロヌスの移動を禁止  税収の確保のため。身分・職業を固定。= 市民の自由が奪われる。
・330年 都をc ビザンティウム  に建設し、d コンスタンティノープル と改称。
 意味:e 官僚制を土台とした階層社会となり、ポリス以来の市民の自由と平等の理念は失われた。 
 東西分裂 
・375年 a ゲルマン人の大移動  帝国内部への侵入開始。
・395年 b テオドシウス帝  ローマ帝国を東西に分割して2子に分け与える。
  c 東口ーマ帝国 :都d コンスタンティノープル  一時、地中海世界を回復する。
   → 都を中心に経済が発展。e ビザンツ帝国 と言われるようになり、1453年まで存続。
  f 西ローマ帝国  都ローマ → ゲルマン民族の侵入を受ける。

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  → 476年に、ゲルマン人傭兵隊長 g オドアケル によって滅ぼされる。

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用語リストへ キ.キリスト教の成立
■ポイント ユダヤ教の形式化を批判したイエスの教えからキリスト教が生まれた。
 ユダヤ教の形式化 
・a パレスチナ がローマに征服され、b ユダヤ教 指導者層がその支配を受け入れる。
 → 律法の遵守と形式的な儀礼を重視したc パリサイ派 、次第に民衆の支持をなくす。
 イエス の登場 前4年頃、ユダヤ北部の小村ナザレの大工ヨセフと妻マリアの間に生まれる。
 → a 「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」  と説き、祭司たちの形式的な信仰を批判。
 → 民衆の中に、彼をb 救世主=ギリシア語でキリスト であると信じる人が増える。
・前30年ごろ 祭司やパリサイ派によって訴えられ、ローマへの反逆の罪で総督ピラトによって処刑される。
 → 弟子は死後の復活を信じ、最初のc キリスト教 教団が生まれる。
 = d イエスの十字架上の死によって人間の原罪があがなわれた  とする信仰。

補足:イエスの教え

 ユダヤ教では、神は恐ろしい裁きの神としてとらえられていたが、イエスは民族や貧富の差をこえた、無差別で平等な愛を人々に及ぼす「愛の神」であると説いた。さらに、神の愛(アガペー)にならい、人々に隣人愛を説いた。『新約聖書』に見るイエスの言葉には、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして主なるあなたの神を愛せよ」、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」、「汝の敵を愛し迫害する者のために祈れ」などがよく知られている。また、パリサイ派の人々の「ローマに対する税は納めるべきか」という問に対して、「カエサル(皇帝)のものはカエサルに、神のものは神に」と答えたこともイエスの思想を示す言葉としてよく知られている。
 ローマへの布教  使徒の布教活動によって、小アジアを経て地中海世界に広がる。
・a ペテロ  イエスの復活の証人として、ローマで伝道し、b ローマ教会 の基礎をつくる。
・c パウロ  ローマ市民権をもつギリシア人。神の愛はユダヤ人以外の異邦人にも及ぶと説いた。
  → 小アジア・シリア・ギリシア・ローマに広がり、特に下層市民や女性、奴隷に信仰される。
 意義 d イエスの教えは民族宗教をを越えて、普遍的な世界宗教となった。 
・3世紀ごろまでにe 「新約聖書」 にまとめられ、ギリシア語のf コイネー で書かれた。

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用語リストへ ク.迫害から国教化へ
■ポイント ローマ帝国に厳しく弾圧されたキリスト教は、4世紀に公認され、国教にまでなった。
 ローマ帝国による迫害 
・a 多神教 信仰であるローマでは、b 一神教 信仰であるキリスト教は受け入れられなかった。
 → 64年 c ネロ帝 は、キリスト教を反社会的な教団として迫害した。

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・303年 d ディオクレティヌス帝  皇帝崇拝を強要。それを拒否したキリスト教を大迫害する。
 → ローマでのキリスト教徒はe 力タコンべ に潜んで信仰を守った。
 キリスト教の公認 
・313年 a コンスタンティヌス帝  b ミラノ勅令 を発布し、公認。(前出)
  → 帝国の西半分で公認される。
 理由 ローマ帝国の「3世紀の危機」が続くなか、むしろキリスト教信仰を統一に利用しようとした。
・教義の統一  イエス死後、約300年を経て、教義を巡る論争が起こってきた。
 325年 c ニケーア公会議  コンスタンティヌス帝が招集したキリスト教の宗教会議。
  d アタナシウス派 :神とイエスは同一であると主張した。 → e 正統 の教義とされる。
  f アリウス派  :イエスは人間と説く。 → g 異端 とされ、ゲルマン人に布教される。

補足:正統と異端

 キリスト教の正統と異端の論争、いわゆる“神学論争”は信者以外にはわかりにくいが、簡単に言えば、イエスを人間とみるか、神とみるか、の対立だった。アタナシウスはイエスは人性をもつと共に神と同格の神性ももつとしたが、アリウスは神の本姓は分割できないとして、イエスは「神聖であっても神性はない」、つまり平たく言えば人間であると主張した。ニケーア公会議ではアタナシウス派が正統とされたが、ついで精霊をどう見るかが問題となった。精霊とはイエスの死後、信者の心に宿り信仰を導く働きがあるとされるが、それ自身を神とすれば、キリスト教は多神教になってしまう。そこでアタナシウス派では、イエスは神性と人性の両性を有し、父なる神とその子イエス、そして信者の胸に宿る精霊は、それぞれ別な位格(ペルソナ)をもつが、実体(サブスタンシア)において一体であるという三位一体説を作り上げ、381年のコンスタンティノープル公会議で正統として確認された。それに対して、ネストリウスは神性は分割できないとして反対し、イエスの人性は仮のもので、受肉によって神性のみを持つたと主張したが、エフェソス公会議で異端として退けられた。イエスの両性を否定して神性のみを認める単性説はなお根強かったが、451年のカルケドン公会議で異端とされ、三位一体説の優位が定まった。
 正統教義  の確立 アタナシウス派のa 三位一体説 が理論化される。
 =「父なる神と子(キリスト)と精霊は、三つのペルソナ(面)をもつが一体である」と説く。
・4世紀後半 b ユリアヌス帝  古来の多神教の復活を試みる。背教者と言われる。
 → その死後、キリスト教に復帰。キリスト教の信仰がローマ社会の上層にも浸透する。
 キリスト教の国教化 
・392年 a テオドシウス帝  アタナシウス派キリスト教を国教とし、他の宗教を厳禁した。
  → 教会は国家の保護を受け、信徒を指・導監督する司教・司祭などの聖職者の階層化が進む。
・431年 b エフェソス公会議  c ネストリウス派 が異端とされる。
  → キリストの神性と人性を分離する考え。ササン朝を経て唐代の中国に伝わりd 景教 と言われる。

補足:キリスト教の広がり

 ネストリウス派キリスト教はローマ領内で布教できなくなり、東方のイランに布教されササン朝で広まった。さらに中央アジアを経て唐代の中国に伝えられて景教と言われるようになり、長安の都には景教寺院がつくられた(唐の文化で学習する)。キリスト教はローマ=カトリックだけでないことに注意しよう。エジプトに伝えられたキリスト教はコプト教会といわれ、イスラーム教に同化せず続いている。他にエチオピア、シリア、アルメニアなどにも独自のキリスト教が存在している。

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用語リストへ ケ.ローマの生活と文化
■ ローマ文化のまとめ
1.a ギリシア文化の模倣であったが、その知識を実用的文化に応用した。 
2.b ギリシア・ローマの古典文化を地中海全域にひろげ、後のヨーロッパ文明の基礎となった。   
 → ギリシア・ローマの時代は、近代ヨーロッパ人により「a 古典古代 」といわれている。
 例 古代ローマ人の言語であるb ラテン語  は中世ヨーロッパを通じ学術上の公用語であった。
■ 各分野のローマ文化
1.土木・建築技術 … 現在のローマのフォルム(公共広場)を中心とした建築群。
  a 公共浴場 (カラカラ帝建造のものが有名)  b 凱旋門 (コンスタンティヌス帝が有名)
  c コロッセウム  ……ローマ最大の円形競技場  d パンテオン (万神殿)
  e アッピア街道 (前出)などの道路やf 水道橋 (教科書 p.49 写真)
2.都市ローマの繁栄 … 人口100万 下層民はa 「パンと見世物」 を楽しむ(前出)。

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3.a ローマ法  都市国家時代のb 市民法 から、帝国全体に適用されるb 万民法 へ。
  = ヘレニズム時代のストア派哲学の影響を受け、普遍的な真理に従うことが重視された。
  → 6世紀後半 東ローマ帝国のd ユスティニアヌス帝 、e 『ローマ法大全』 を編集させる(後出)。
4.暦法 a カエサル がエジプトの太陽暦を導入してb ユリウス暦 を制定。
   → 1582年にローマ教皇が制定したc グレゴリウス暦 で改訂されるまで使用された。
5.文学 ローマの文学をa ラテン文学 という。
 ・b ヴェルギリウス アエネイス』(ローマの建国叙事詩) ギリシア文学の影響が強い。
 ・a カエサル  『d ガリア戦記 』 ガリア(現フランス)のゲルマン人社会を伝えている。
 ・e キケロ  共和政末期にギリシア思想をひるめる。作品はラテン文学の名文と言われる。
6.歴史・地理
 ・a リヴィウス  『ローマ史(建国史)』 オクタヴィアヌスの友人。
 ・b タキトゥス  『ゲルマニア』 ローマ時代のゲルマン人に関する記録(後出)。
 ・c ポリビオス   ポエニ戦争に従軍したギリシア人。『歴史』でd 政体循環史観 を説いた。

解説

 ポリビオス(ポリュビオス)はギリシア人の捕虜出身で、ポエニ戦争に従軍した。『歴史』を著し、国家の政体は、君主政→暴君政→貴族政→寡頭政→民主政→衆愚政→君主政と循環すると考えた。それを政体循環史観という。またローマの台頭の理由を、君主政と貴族政と民主政が混合しているところに強さがあると分析した。
 ・e プルタルコス  『対比列伝(英雄伝)』 ギリシア・ローマの英雄を比較。
 ・f ストラボン  『地理誌』 当時知られていた全世界の地誌。
7.哲学・思想 a ストア派 の隆盛 普遍的な理性のあり方を重視する。
 ・b セネカ  (ネロの師)  c エピクテトス (奴隷出身のギリシア人、道徳哲学を説く)。
 ・d マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝   五賢帝の一人。『自省録』を著す。

Text p.51

8.自然科学  自然科学者の多くはローマに征服されたギリシア人であった。
 ・a プリニウス  『博物誌』   b プトレマイオス  天動説を体系化。  *ガレノス 解剖学。
9.宗教  ギリシアと同じく多神教を信仰。帝政期に東方からミトラ教マニ教の密儀宗教が伝わる。
 ・キリスト教のa 教父哲学  b エウセビオス  『教会史』
  ・c アウグスティヌス  カルタゴの教父。若い頃、マニ教を信仰(前出)。『告白録』
  → 西ローマ帝国衰退という教会の危機に当たり、d 『神の国』 を著し教会の宗教的権威を確立。
  → これらの教父哲学は、中世のキリスト教神学のもととなった。

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