アリストテレスが
アテネにつくった学校。多くの蔵書や標本の他に、体育館や歩廊があり、その歩廊をペリパトスといったので、学校は
ペリパトスとも言われ、そこで学んだ人々をペリパトス派とも言った。アリストテレス死後も続いたが、アリストテレスのような総合的かつ体系的な学問研究は衰え、実証的、個別的な分野研究になっていった。
それでもリュケイオンはローマ時代も存続したが、529年の東ローマ帝国の
ユスティニアヌス帝の時にプラトンの作った
アカデメイアなどと共に異教の施設として閉鎖されてしまった。