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フェイディアス

ギリシア古典期のアテネで活躍した彫刻家。ペリクレスに協力しパルテノン神殿の再建にあたる。

 フィディアスとも表記する。古典期のアテネを代表する彫刻家で、ペリクレスと親しく、ペルシア戦争で破壊されたパルテノン神殿の再建に従事し、総監督にあたり、彫刻も担当し前432年に完成させた。その主神であるアテネ女神像をつくったとされるが、実物は現存せず、ローマ時代の模造品が残されているのみである。なお、アテネの彫刻家には、他にヘルメス像などの作品が知られるプラクシテレス、円盤投げなどので知られるミュロンなどがいるが、彼らの作品は、ほとんどローマ時代の模造品によって現在知ることができるものである。

Episode 告発されたフェイディアス

(引用)パルテノンをはじめとする一連の神殿建設事業は、その規模の壮大と仕上がりの見事さとにくらべれば、驚くほどの短期間に成った。それはプルタルコスもいうように、たしかに政治・文化の高潮期のみがもちうる、すさまじいばかりの創造的エネルギーの所産である。この事業の全体を統括し、みずからも、いまは失われているパルテノンのアテナ女神黄金像を造ったのが、彫刻家フィディアスである。彼はペリクレスと親しく、そのためにこの大役を課せられたという。だが、二人の結びつきは、ペリクレス攻撃を裏に秘めた反対派の中傷を招いた。そして、このギリシア彫刻を代表する一代の巨匠は、工事にさいしての公金横領を理由に告発され、その事実は立証されなかったけれども、作品に自分とペリクレスの姿を刻み込んだ廉(かど)で有罪とされ、獄死したとも国外に逃亡したとも伝えられている。<伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』2004 講談社学術文庫 p.239>
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伊藤貞夫
『古代ギリシアの歴史』
2004 講談社学術文庫