イドリーシー
12世紀、シチリアのパレルモで活躍した、アラブ人地理学者、世界地図を作製した。
12世紀にモロッコで生まれたアラブ人で、シチリア島のノルマン朝、ルッジェーロ2世のパレルモの宮廷に仕え、世界地図を作製した。
(引用)地理学の復活には大変長い時を要したのであるが、古代のこの学問を絶やさず守り続けて来た中世初期の回教徒学者達に我々は感謝せねばならない。この刺激を受けて、12世紀から13世紀には、西欧に新しく設立された諸大学からキリスト教徒の学者達が、彼らを待っているアリストテレスやプトレマイオスの知識を求めてトレドやパレルモやチュニスに遊学した。古典的・イスラム的地理学の西欧への導入は、セウタ出身の才気煥発なムーア人でシチリア王ロッジェル2世の宮廷に永年仕えたイドリーシー(1100~66)の生涯に要約されている。この回教徒地理学者中最も有能なイドリーシーはプトレマイオスを復活させ、この網羅的な『地理学』の中に、キリスト教徒の学者に先んじて殆ど一千年の間に書かれたこの分野の最高の業績を盛り込んだのである。この間に西欧にも達していたプトレマイオス自身の『地理学』に対する回教徒の尊崇を考えると、翻訳されたのは遙かに小部分に過ぎず、キリスト教世界はこの極めて重要な文献史的事件をコロンブスやダ・ガマの世紀まで待たなければならなかった。<ペンローズ『大航海時代-旅と発見の二世紀』1952 荒尾克己訳 筑摩書房刊 p.11>