トレド翻訳事業/翻訳学派
12~13世紀、イベリアのトレドでアラビア語文献をラテン語、またはカスティリヤ語に翻訳する事業が盛んにおこなわれた。それを担った事業をトレド翻訳事業という。当時のヨーロッパの最先端の研究事業だった。
12~13世紀、イベリア半島のトレドは1085年にカスティリャ=レオン王国のアルフォンソ6世が攻略してキリスト教の支配を回復したが、それ以前の支配者であったイスラーム教徒に対しても寛容で、アラビア人の活動拠点としても続いており、また多くのユダヤ人が居住し、彼らは商業活動に従事したことでアラビア語にも通じていた。
12~13世紀のカスティリャは、トレドの他に、セゴビア、クエンカ、コルドバを中心に毛織物工業が発達し、造船や鉱山開発も行われ、経済発展が著しかった。そのような経済発展を背景にして、キリスト教徒のラテン文明(古典文化)とイスラーム教徒(ムスリム)のアラビア文明、それにユダヤ教のシナゴーグの文化などが混在する中で新しい文化が生まれる素地が出来上がっていった。
このように翻訳者であるキリスト教徒(聖職者・学者)とユダヤ人による「翻訳チーム」が編成された。チームの中でアラビア語とラテン語をつなぐ役割をになったのがユダヤ人であった。特にユダヤ教からキリスト教への改宗したコンベルソと言われるユダヤ人は商業に従事していたのでアラビア語にも通じて居た。またアラブの統治下に入ってもキリスト教を捨てなかったモサラベと言われる人々はアラビア語もカスティリャ語も話せた。翻訳は、まずアラビア語文献を音読し、カスティリャ語に翻訳することから始まり、協力者と翻訳者の共通言語であるカスティリャ語で意思の疎通を図り、翻訳者が西方キリスト教世界の公用語であるラテン語に書き写すというチームプレーで行われた。またこの段階では書物はラテン語で刊行され、西ヨーロッパ各地にもたらされた。
このときトレドやシチリアのもたらされたアラビア語文献は、バグダードの「知恵の館」でギリシア語からアラビア語に翻訳された文献であった。イスラーム圏の方が外来の文化を尊重していたのであり、彼らによって翻訳されたギリシア語文献がトレドの翻訳事業で翻訳され、西ヨーロッパに知られたことで興ったのが、12世紀ルネサンスであった。<伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』1993初刊 講談社学術文庫2006 p.179/立石博高編『スペイン・ポルトガル史』2000初刊 2022改訂版 p.113>
POINT トレドの翻訳事業の意義 トレドの翻訳事業は、活動に時代差があるとは言え、これらを通じて西ヨーロッパ世界にアリストテレス哲学や新プラトン主義、イスラーム世界の知的伝統が紹介され、西ヨーロッパ世界の知的復興に大きく貢献した。
またトレドの翻訳事業ではスペインのユダヤ人(コンベルソ)が大きな役割を果たしたことに注意しておこう。このように、レコンキスタの時代であった12~13世紀のスペインでは、ユダヤ人はキリスト教徒、ムスリムとも共存していた。スペインでユダヤ人迫害が始まるのはレコンキスタが進んだ14世紀、1391年にセビリャではじまったユダヤ人襲撃からであった。ユダヤ人迫害はレコンキスタ完了と同年の1492年に出されたユダヤ教徒追放令へと向かう。
訂正 このページのタイトルは「翻訳学校」としていましたが、「トレドの翻訳事業/翻訳学派」に改め、全面改定しました。<2026/7/3>
「翻訳学校」は、『新編西洋史事典』(京大西洋史事典編纂委員会編 1983年)のトレドの項に「13世紀ここに設けられた翻訳学校はギリシア文化、オリエントの文化を西欧に知らせる役割を果たした」とあったことから取り上げてましたが、現在では「学校」としての施設や組織は認められないことから、その翻訳者集団を「翻訳学派」、「翻訳グループ」、「トレド派」とし、アルフォンソ10世などカスティリャ王国の「事業」としてする説明が定説となっているので、改めました。School を学校と直訳した翻訳が間違えていたということでしょうが、School には学問の系列、学派、という意味で使うこともあるので要注意ですね。この項は山本耕一さんのご指摘で訂正しました。
12~13世紀のカスティリャは、トレドの他に、セゴビア、クエンカ、コルドバを中心に毛織物工業が発達し、造船や鉱山開発も行われ、経済発展が著しかった。そのような経済発展を背景にして、キリスト教徒のラテン文明(古典文化)とイスラーム教徒(ムスリム)のアラビア文明、それにユダヤ教のシナゴーグの文化などが混在する中で新しい文化が生まれる素地が出来上がっていった。
翻訳事業の第一期
12世紀のトレドでは、アルフォンソ7世がアラビアの学術研究のためのセンターを設け、大司教ライムンドを任命した。ライムンドは多くの学者を集め、翻訳に従事させた。活躍した翻訳者にはセゴビアの大司祭であったドミンゴ=グンディサルボで、彼に協力したのがキリスト教に改宗したユダヤ人(コンベルソ)のセビリャのファンで、ますファンがアラビア語からカスティリャ語に訳し、それをグンディサルボがラテン語に訳した。彼らはフワーリズミーの伝統を引く算術書やイブン=シーナーやガザーリーの哲学書を翻訳した。またイタリアのクレモナから来た翻訳者ゲラルドはアラブ人でキリスト教に改宗したモサラベといわれる人々の協力でヘレニズム時代の天文学者プトレマイオスの『アルマゲスト』を翻訳した(1175年)、73歳でトレドで没するまでに71種類以上のアラビア語文献をラテン語訳したという。その中にはアリストテレス、エウクレイデス(ユークリッド)、アルキメデス、ガレノス、アヴェロエス(イブン=ルシュド)なども含まれていた。トレドの大司教ライムンドのもとで翻訳された文献は、全体的には自然科学よりも哲学、神学が主なものであった。このように翻訳者であるキリスト教徒(聖職者・学者)とユダヤ人による「翻訳チーム」が編成された。チームの中でアラビア語とラテン語をつなぐ役割をになったのがユダヤ人であった。特にユダヤ教からキリスト教への改宗したコンベルソと言われるユダヤ人は商業に従事していたのでアラビア語にも通じて居た。またアラブの統治下に入ってもキリスト教を捨てなかったモサラベと言われる人々はアラビア語もカスティリャ語も話せた。翻訳は、まずアラビア語文献を音読し、カスティリャ語に翻訳することから始まり、協力者と翻訳者の共通言語であるカスティリャ語で意思の疎通を図り、翻訳者が西方キリスト教世界の公用語であるラテン語に書き写すというチームプレーで行われた。またこの段階では書物はラテン語で刊行され、西ヨーロッパ各地にもたらされた。
このときトレドやシチリアのもたらされたアラビア語文献は、バグダードの「知恵の館」でギリシア語からアラビア語に翻訳された文献であった。イスラーム圏の方が外来の文化を尊重していたのであり、彼らによって翻訳されたギリシア語文献がトレドの翻訳事業で翻訳され、西ヨーロッパに知られたことで興ったのが、12世紀ルネサンスであった。<伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』1993初刊 講談社学術文庫2006 p.179/立石博高編『スペイン・ポルトガル史』2000初刊 2022改訂版 p.113>
翻訳事業の第二期
13世紀のカスティリャ王アルフォンソ10世(在位1252~84)はレコンキスタの過程にあり、セビリャへの入植を進めながら、ローマ法の本格的受容などを図り、それまでの複数の王国の緩い連合にすぎなかった国のの統一をめざした。また、王はメスタ(移動牧畜を行う牧畜業者組合)の結成を勧め、毛織物工業が発達した。アルフォンソ10世は自分の周囲にキリスト教徒、ユダヤ人、アラビア人の学者を集め、トレドに一種のアカデミーをつくり自ら主催した。彼の翻訳事業は国家事業の一環として行われ、トレド以外にもセビリャでも行われた。この時代に入ると翻訳は自然科学に重点が移れ、天文学や占星術の書物が翻訳されたことで、新しい天文表が作られ、西ヨーロッパ諸国にももたらされた。ただし彼の時代には、翻訳者の大部分はカスティリャ人となり、翻訳も俗語のカスティリャ語で表記されラテン語への翻訳は少なくなった。これはトレドの翻訳事業の国際性が失われたことを意味していた。アルフォンソ10世は1254年にサラマンカ大学に特権を付与しその基礎を定めたが、その学術用語は法学・歴史学・自然科学研究にラテン語ではなく、カスティリャ語を採用した。<伊東『同上書』p.186/立石『同上書』p.115-116>POINT トレドの翻訳事業の意義 トレドの翻訳事業は、活動に時代差があるとは言え、これらを通じて西ヨーロッパ世界にアリストテレス哲学や新プラトン主義、イスラーム世界の知的伝統が紹介され、西ヨーロッパ世界の知的復興に大きく貢献した。
またトレドの翻訳事業ではスペインのユダヤ人(コンベルソ)が大きな役割を果たしたことに注意しておこう。このように、レコンキスタの時代であった12~13世紀のスペインでは、ユダヤ人はキリスト教徒、ムスリムとも共存していた。スペインでユダヤ人迫害が始まるのはレコンキスタが進んだ14世紀、1391年にセビリャではじまったユダヤ人襲撃からであった。ユダヤ人迫害はレコンキスタ完了と同年の1492年に出されたユダヤ教徒追放令へと向かう。
訂正 このページのタイトルは「翻訳学校」としていましたが、「トレドの翻訳事業/翻訳学派」に改め、全面改定しました。<2026/7/3>
「翻訳学校」は、『新編西洋史事典』(京大西洋史事典編纂委員会編 1983年)のトレドの項に「13世紀ここに設けられた翻訳学校はギリシア文化、オリエントの文化を西欧に知らせる役割を果たした」とあったことから取り上げてましたが、現在では「学校」としての施設や組織は認められないことから、その翻訳者集団を「翻訳学派」、「翻訳グループ」、「トレド派」とし、アルフォンソ10世などカスティリャ王国の「事業」としてする説明が定説となっているので、改めました。School を学校と直訳した翻訳が間違えていたということでしょうが、School には学問の系列、学派、という意味で使うこともあるので要注意ですね。この項は山本耕一さんのご指摘で訂正しました。