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トレド

 イベリア(スペイン)の古都。西ゴート王国の都。8世紀にイスラームの支配下に入り、1085年にはレコンキスタによってカスティリヤ=レオン王国が奪還したが、その後もイスラーム文化とキリスト教文化の接点として文化交流の拠点となった。

 イベリア半島のほぼ中央部にある歴史的な都市。507年西ゴート王国の都となり、キリスト教文化が及んでいたが、711年、アフリカから北上したイスラーム教の勢力がイベリア半島に侵入し、713年に西ゴート王国は滅亡した。

イスラーム文明の受容

 この地は後ウマイヤ朝とその後のイスラーム王朝の支配をうけることとなったが、その間、キリスト教徒、イスラーム教徒、さらにユダヤ教徒は共存し、トレドはその文化の交場となった。1031年、後ウマイヤ朝が滅亡するとイベリア半島は幾つかのターイファ(太守)の治める小国に分裂し、トレドにも小王国が成立した。イスラーム教トレド王国でも彼らの共存は続いた。

キリスト教国支配の復活

トレド
中世の町並みを残すトレドの眺望
2011年 センター試験 第4問参考図
 イベリア半島北方のキリスト教国による国土回復運動(レコンキスタ)が進むと、1085年カスティリャ=レオン王国のアルフォンソ6世がトレドを攻略した。彼はキリスト教の支配を回復したが、イスラーム教徒に対しても寛容で、トレドのイスラーム文化の西方での拠点として機能は続いた。

トレドの翻訳学校

 12~13世紀にカスティリヤ王国のもとでこの地に翻訳学校が設立されでイスラームの文献がラテン語に翻訳され、中世ヨーロッパの文化に大きな影響を与えた。トレドにもたらされたイスラーム文献は、バグダードの「知恵の館」において古代ギリシアの文献がアラビア語に翻訳されたものであり、ヨーロッパの人々が古代ギリシア文明を学んだのは、イスラームを経由してであったのである。 → 12世紀ルネサンス

ユダヤ人のシナゴーグ

 トレドには、早くからユダヤ人が居住し、イスラーム支配下では啓典の民として保護され、独自の文化を形成していた。彼らは経済力や言語能力で高い地位を占める者も有り、西ゴート王国、カスティリャ王国でも基本的には平穏に存在することができていた。トレドの翻訳学校で活躍したのはアラビア語・ギリシア語・ラテン語に通じたユダヤ人が多かった。トレドの町にはユダヤ人居住区が作られ、彼らの集会所兼教会であるシナゴーグが作られた。14世紀の前半、カスティーリャ王国のペドロ1世に財務長官を務めた宮廷ユダヤ人シュムエル=ハーレヴィが建設したトレドのシナゴーグは現在はカトリック教会となっているが、当時のユダヤ人の高度な文化の遺産となっている。

トレドの旧シナゴーグ

1366年にユダヤ人財務長官シュムエル・ハーレヴィが建てたシナゴーグ。後にカトリックのトランシト教会となり、現在はセファルディ(スペイン系ユダヤ人)博物館となっている。現存する最も華麗な旧シナゴーグ。右はその内部。



世界遺産 古都トレド

 トレドの街には西ゴートのゲルマン文化、後ウマイヤ朝以来のイスラーム文化、カスティーリャ王国以降のキリスト教文化、さらにユダヤ教の文化が重層的に組合わされている。旧市街の中心に聳えるトレド大聖堂はスペインカトリック教会の総本山であるが、それ以外にも教会・修道院が建ち並び、その他にイスラーム時代の要塞跡や上記のユダヤ教の遺跡も多い。ヨーロッパの文化史の宝庫とも言われるトレドは1986年に世界遺産に登録された。美術史では、クレタ島出身のギリシア人画家エル=グレコは後半生をトレドですごしており、その作品を展示する美術館も作られている。 → ユネスコ世界遺産リスト Historic City of Toledo

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