りし。または李卓吾(りたくご)は、16世紀後半、
明末の嘉慶帝・万暦帝の頃の儒教思想家で、王陽明の
陽明学の系譜に属する。福建省の泉州出身で、イスラーム教徒の家系に生まれたという。科挙の第一段階の郷試に合格し挙人となったが、第二段階の受験を放棄して、下級官吏となった。54歳で辞職して自由な思索に入り、「童心」を理想として権威にしがみつく学者を痛切に批判、周囲と妥協することのない過激な議論は次第に危険視され、1602年に逮捕され、獄中で自殺した。その
男女平等の論など、時代に先んじた思想は、近代中国で高く評価されるようになった。