リービヒ
19世紀前半のドイツの化学者。それまでの大学の化学教育が前近代的な実用主義であったのを改め、実験と理論化を重視する近代的化学教育の方法を創始した。
リービヒ Justus Leibig 1803-1873 はダルムシュタットの薬屋の子として生まれ、薬局の見習いなどしながら化学研究に入り、ボン大学やパリ大学に学んだ。1825年、ギーセン大学教授となり、ミュンヘン大学教授も歴任した。
それまでの大学での化学教育は、先生が少人数の生徒に知識や技術を伝える徒弟制度の形態であったが、1824年にドイツのギーゼン大学のリービヒは、体系立ったカリキュラムに沿って大勢の学生を同時に指導できる実験室を大学内に設置した。この方式の実験教室はヨーロッパに広まり化学の発展を促した。<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.108>
その化学者としての業績は、化合物の異性体の発見(1826)、有機化合物の元素分析法の改良(1831)、ベンゾイル基の存在の実証(1832)などであるが、化学にとどまらず、農作物の無機栄養論、「リービヒの最小栄養率」として知られる、農芸化学にもおよび、化学肥料の開発などの実用的分野でも業績を上げた。
リービヒは、近代農業が出来るだけ多くの収獲を得るために、短期間で徹底的に土壌の養分を奪い去り、しかも土壌に余分を補充しないのは、“略奪”行為だと批判した。マルクスはこのリービヒの略奪農業批判に感銘を受け、『資本論』のなかで、自然の濫用から生じる土壌の疲弊が、やがて社会の物資的基礎を脅かすようになると警鐘を鳴らした。マルクスは、資本主義社会においては資本による略奪、つまり利潤追求が、人間だけで無く自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし、人間と自然の物質代謝に取り返しのつかない亀裂を生み出す、と繰り返し警告している。マルクスはリービヒが用いた化学用語である「物質代謝」という概念を、経済学・哲学の領域に応用し、資本主義社会の分析を行ったのだった。<斎藤幸平『カール・マルクス資本論』100分de名著 NHK出版 2021 p.15,101>
それまでの大学での化学教育は、先生が少人数の生徒に知識や技術を伝える徒弟制度の形態であったが、1824年にドイツのギーゼン大学のリービヒは、体系立ったカリキュラムに沿って大勢の学生を同時に指導できる実験室を大学内に設置した。この方式の実験教室はヨーロッパに広まり化学の発展を促した。<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.108>
その化学者としての業績は、化合物の異性体の発見(1826)、有機化合物の元素分析法の改良(1831)、ベンゾイル基の存在の実証(1832)などであるが、化学にとどまらず、農作物の無機栄養論、「リービヒの最小栄養率」として知られる、農芸化学にもおよび、化学肥料の開発などの実用的分野でも業績を上げた。
マルクスへの影響
リービヒの多岐にわたる研究の実績の中でも、農業および動植物の生理学的研究は、1850年代に、若きマルクスに影響を与えた。マルクスはリービヒの著作『農業と生理学への応用における化学』(1840年刊)の抜粋ノートを作成し、その略奪農業批判に強く感銘を受け、後に『資本論』第一巻に取り入れている。リービヒは、近代農業が出来るだけ多くの収獲を得るために、短期間で徹底的に土壌の養分を奪い去り、しかも土壌に余分を補充しないのは、“略奪”行為だと批判した。マルクスはこのリービヒの略奪農業批判に感銘を受け、『資本論』のなかで、自然の濫用から生じる土壌の疲弊が、やがて社会の物資的基礎を脅かすようになると警鐘を鳴らした。マルクスは、資本主義社会においては資本による略奪、つまり利潤追求が、人間だけで無く自然からも豊かさを一方的に吸い尽くし、人間と自然の物質代謝に取り返しのつかない亀裂を生み出す、と繰り返し警告している。マルクスはリービヒが用いた化学用語である「物質代謝」という概念を、経済学・哲学の領域に応用し、資本主義社会の分析を行ったのだった。<斎藤幸平『カール・マルクス資本論』100分de名著 NHK出版 2021 p.15,101>