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ベトナム光復会

ベトナムのファン=ボイ=チャウが、広州で設立したベトナムの共和政国家をめざす組織。激しい反仏活動を展開した。

 ベトナムの民族運動をすすめ、ドンズー運動/東遊運動で日本との連携しようとしたが失敗し、日本を追われたファン=ボイ=チャウは広州に亡命した。そこで1911年に辛亥革命が起こるとその影響を受け、国民党と密接に連絡を取りながら、ベトナムに共和政国家を建設することを目指すようになった。

ベトナム共和政国家の独立を目指す

 翌1912年、従来の維新会を解散して代わりに広州でベトナム光復会(越南光復会)を組織し、ベトナム亡命政権としてベトナム国内に独立を呼びかけた。フランスはただちにこれを弾圧するため、中国の官憲に要請し、ファン=ボイ=チャウを捕らえさせ、投獄させた。その後、ベトナム光復会は、フランスに対するテロ攻勢をかけ、フランス植民地要人の暗殺を繰り返し、さらに厳しく弾圧されたため、次第に動きが取れなくなっていった。ファン=ボイ=チャウはいったん釈放されたが、1925年に上海で捕らえられ、フエに送られて長く軟禁されたうえ、1940年に死去した。
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