暗黒の木曜日
1929年10月24日、世界恐慌の始まった日。さらに株価が再び大暴落した10月29日は「悲劇の火曜日」という。
1929年10月24日、ニューヨーク株式取引所で空前の株価大暴落が発生し、「世界恐慌」の始まりとなったのが木曜日であった。いったん小康状態になった株価が、再び大暴落して、通常の恐慌とは異なる「大恐慌」であることがはっきりした10月29日は「悲劇の火曜日」という。
なお、1929年の大恐慌を、アメリカの人びとがどのように迎えたのか、については、F.L.アレンの『オンリー・イエスタディ―1920年代のアメリカ』1993が、生き生きとしたルポルタージュになっている(ちくま文庫、藤久ミネ訳)。あと10年ほどで100年前のことになろうとしているが、アレンが言うとおり大恐慌が「つい昨日のこと」であることを忘れないようにしたい。
10月29日 悲劇の火曜日
現代のアメリカ史家ビーアドは、1944年に世界恐慌を以下のように描いている。(引用)1929年の秋、農民は別として国中の人々が「永遠の繁栄という高台」の上に安定していると思われたそのとき、共和党の政策の賜といわれた商工業のにわか景気が、はげしい音をたてて崩壊した。一流会社の主要株が十月二十九日のただ一日で、軒並みに40ポイント近く暴落し、1600万株以上がニュー・ヨーク証券取引所で市場に投げ売りされた。この恐慌にひきつづいて銀行や鉄道会社や個人商社の破産、すでに苦境にあった農民間の苦悩の増加、工場や営業所の閉鎖、芸術家、‥‥教師といった全俸給生活者層(ホワイトカラークラス)の就業機会の急速な減退が起こったが、それはニュー・ヨークからカリフォルニアにおよぶものであった。1933年のはじめの数カ月に、1200万の男女が失業したと計算された。‥‥破産と飢餓とが、農村の小作人や刈分小作人(※)の小屋ばかりでなく、また産業労働者や知的職業者層の住む裏町ばかりでなく、大都会の繁華街までおそいかかった。<ビーアド/松本重治他訳『新版アメリカ合衆国史』1944 P.440>※狩分小作人は sharecropper の訳語で、現在は分益小作人の用語が充てられている。
なお、1929年の大恐慌を、アメリカの人びとがどのように迎えたのか、については、F.L.アレンの『オンリー・イエスタディ―1920年代のアメリカ』1993が、生き生きとしたルポルタージュになっている(ちくま文庫、藤久ミネ訳)。あと10年ほどで100年前のことになろうとしているが、アレンが言うとおり大恐慌が「つい昨日のこと」であることを忘れないようにしたい。