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グラス=スティーガル法

アメリカのF=ローズヴェルト大統領の世界恐慌の克服を目指したニューディール政策の一環。銀行法とも言われる金融活動を規制する法律。

 フランクリン=ローズヴェルトによるニューディール政策の一つとして定められた、銀行規制を強化する立法。世界恐慌の発生と共に金融界に対する厳しい規制を要求する声が強まり、すでにフーヴァー政権の下で上院に査問委員会が設けられていた(委員長の名前からペコーラ委員会という)。委員会では金融界の帝王といわれた二代目モルガンをはじめ大立て者が召喚され、「まるで馬泥棒か何かを攻撃するように」詰問が行われ、彼らが所得税を払っていなかったことなどが暴露された。その審議の中から銀行や証券会社などの金融界への厳しい規制の必要が認識され、一連の金融規制関連法が成立した。

証券と銀行の分離などの規制法

 グラス=スティーガル法(銀行法)はその一つで1933年6月に上院を全会一致で通過しF=ローズヴェルト大統領が署名し成立した。その内容は、・証券と銀行の分離、・連邦準備制度の強化、・預金者保護のための連邦預金保険公社(FDIC)の設立、要求払い預金への利子の禁止などである。証券と銀行の分離は、商業銀行から投機的精神を撲滅して企業の安定経営を図るものであった。預金者保護には自主独立の精神に反するという反対論もあったが、その後も銀行閉鎖を少なくする効果を生んだ。連邦準備制度の強化は、従来の連邦準備委員会から決定権を連邦準備制度理事会(FRB)に移し、すべての銀行を連邦準備制度に加盟させた。

グラス=スティーガル法の意義

 銀行法や証券法などの金融関連法はたびたび改定され、ニューディールの中でもマイナーな立法と見られがちであるが、「歴史上初めてウォール街を規制し、銀行制度を中央銀行による政策コントロールを確立し、預金者保護を制度的に保障した金融制度の改革は、その後レーガン時代に至るまでのアメリカの金融制度の基礎を固め、他のいかなるニューディール立法よりも成功したものとなった。」<林敏彦『大恐慌のアメリカ』1988 岩波新書 p.137-139>

グラス=スティーガル法の廃止

 1980年代のレーガン政権(共和党)下で規制緩和、自由競争の復活という経済路線が強まり、証券と銀行の分離を原則とする1933年銀行法(グラス=スティーガル法)の見直しが始まった。1990年代のIT好況に転じたアメリカ経済を背景に、1999年11月、共和党が多数をしめる上・下院はグラス・スティーガル法を廃止し、銀行・証券・保険を兼営する総合金融サービスを自由化する法律(グラム・リーチ・ブライリー法)を可決、クリントン大統領(民主党)が署名して成立した。このように新自由主義に基づいて金融をも自由競争にさらすことになったアメリカ経済はその後、金融工学というコンピュータ依存の金融商品が暴走し、サブプライムローンなどの問題を引き起こすこととなった。 
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