西ヨーロッパ連合条約/ブリュッセル条約
1948年3月、イギリス・フランスなど西欧5カ国が結成した集団防衛体制。48年2月のチェコスロヴァキアのクーデターで共産党政権が成立したことを警戒した。翌年、アメリカなどが加わり、北大西洋条約に拡大される。
1948年3月、イギリス、フランスおよびベルギー、オランダ、ルクセンブルク(ベネルクス三国)の五ヵ国で締結された条約。ブリュッセル条約または西欧同盟条約ともいい、五ヵ国は西欧同盟(後に西ヨーロッパ連合に改組)を結成し、各国の外相からなる理事会を設け、国防相、蔵相がそれぞれ防衛と財政について協議し、経済・社会・文化での協力と共に集団防衛をはかった。
ソ連に対する共同防衛
第二次世界大戦後、軍事的なヨーロッパ諸国連合の必要を提唱したのは1946年9月の前イギリス首相チャーチルの演説であった。1948年2月に共産党によるチェコスロヴァキアのクーデターが成功したことに衝撃を受けたチャーチルが主導し、共産圏の武力侵攻に対抗する目的と同時に、ドイツ軍国主義の復活を阻止する目的もあって結成されたものであった。ソ連は自国を仮想敵国とする防衛同盟が結成されたことに反発して、ドイツ統治の連合国管理委員会から代表を引き上げ、ドイツ統一問題の解決は遠のき、東西冷戦下での分裂の事態がはっきりした。アメリカが加盟しNATOに発展
翌年、ソ連の軍事力の脅威が高まったとして、加盟5カ国は大西洋をはさんだアメリカとカナダに参加を呼びかけた。アメリカは戦前からの孤立主義の主張も強かったが、1948年6月にアメリカ議会がヴァンデンバーグ決議によって孤立主義を廃棄し、ヨーロッパでの軍事同盟への加盟を認めたことによって道が開け、1949年4月4日、北大西洋条約が締結されNATOが創設されることになる。